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2023年09月16日04:52

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新大陸文明を支えた唯一の主食トウモロコシ、その巨大パワー(後編):逆移入のメソアメリカで大巨石建造物建設を支える

 ペルー、アンデス高地に大村落と最初の基壇とピラミッドが現れたのは、主にその少し後だ。例えば日本の東大調査団が発掘した巨大な石造ピラミッドのチャビン・デ・ワンタル(写真)は3000年前以前にさかのぼる。

◎移入先のアンデスより発展がやや遅れたメソアメリカ
 後には、この石造技術は、カミソリの刃も通さないほどの精密で洗練された石組み技術を生み出す。僕は、2012年にタワンティンスーヨ帝国(インカ)の首都だった古都クスコを訪れ、その精緻な石組み技術に驚嘆した(写真)。ちなみにタワンティンスーヨには、鉄器が無かった。専門的な職人が石で丁寧に打ち欠いて成形したのだ。それを支えたのは、アンデスの畑で獲れたジャガイモとトウモロコシだ。
 ところが、である。
 トウモロコシの原産地だったメソアメリカの発展は、なぜか移入先である南米よりも数百年は遅れたのだ。
 ペルーのような大村落や祭祀センターを支えられるだけの規模でのメソアメリカの食料生産の確立は、4000年前以降になるまで起こらなかった。

◎トウモロコシ逆移入でメソアメリカにも文明
 実際、ペルーのプレセラミック後期と草創期の大形記念物に対比できる最初の大形記念物は、メキシコ湾岸低地でやっと3500年前以降に、グアテマラのマヤ文明の故地地域で3000年前頃に建設されたに過ぎない。
 アンデス地方と比べてこの明らかな遅さの理由は、定かではない。1つの回答は、最も生産力のある多様なトウモロコシはまず南米で改良進歩し、その後にやや遅れてメソアメリカに逆移入されたということだ。
 実際に、ペルーから逆移入されたトウモロコシがメソアメリカで大規模に栽培化されると(と言っても南米に北米にも運搬用家畜も車両もなかったから、今日の目から見ればちゃちな規模ではあったが)、最初のメソアメリカ文明であるオルメカ文明が、メキシコ湾岸で発展した。

◎紀元後にテオテワカン、マヤ、ティノチテトランの大石造建造物
 ラ・ヴェンタはメソアメリカ最古の都市遺跡であり、ここの巨石人頭像と神殿ピラミッドは、トウモロコシの故地のメソアメリカでやっとペルーに追いついたことを示す。
 このようにトウモロコシは、新大陸文明の発展に極めて重要だったが、例えば紀元800年過ぎに高地マヤで都市遺跡が衰退し、多くの石造ピラミッドや神殿が放棄されたのは、様々な原因でトウモロコシ栽培が衰退したからだ。
 僕が2013年にメソアメリカを訪ねた時、テオテワカン(1500年前前後)の巨大ピラミッドを林立させた広場に目をむき、またウシュマルのピラミッド群と石造祭祀建築(1000年前前後)に深く感動したが、その発展の基礎になったのはトウモロコシであった(下の写真の上=「月のピラミッド」の上から「死者の道」とピラミッド群を観る。左は「太陽のピラミッド」。下の写真の中央の上=「太陽のピラミッド」から「月のピラミッド」を遠望。下の写真の中央の下=ウシュマルの「魔法使いのピラミッド」。下の写真の下=ウシュマルの「総督の宮殿」)。
 なおアステカ文明の巨石建造物は、首都のティノチテトランがスペイン人コンキスタドールによって徹底的に破壊されたためにほとんど残らなかった。

◎食肉家畜のいなかったメソアメリカ文明
 ただメソアメリカ文明の食料にとって致命的欠陥だったのは、家畜がいなかったことだ(食用家畜はペルー、タワンティンスーヨのモルモットのみ)。動物蛋白質は、狩猟で得たシカ程度で、それは貴族や王族、神官など上流階級の者の口にしか入らなかった。
 一般庶民は、蛋白質はマメでしか採れず、栄養学的には貧困な文明だった。

注 容量制限をオーバーしているため、読者の皆様方にまことに申し訳ありませんが、本日記に写真を掲載できません。
 写真をご覧になりたい方は、お手数ですが、https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202309160000/をクリックし、楽天ブログに飛んでいただければ、写真を見ることができます。

昨年の今日の日記:「ロシアが頼るスターリニスト中国との同盟は長続きするのか、中ソ同盟破綻の歴史」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202209160000/

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