【「若さ」は相対的なもの】5413
本田晃一(こういち)
「若さ」というのは、相対的なものです。
たとえば、あなたが今40代だとして、身近に20歳の人がいたとします。
そして、その20歳の人が「自分はハタチでこれからは就活のことを考えなきゃいけないんで、チャレンジなんてもうできないです。
10代のうちにチャレンジしておけばよかったなぁ・・・」と言い出したら、 どう感じるでしょうか?
きっと、「いや、まだハタチでしょ!」「これから何でもできるじゃないか!」と 言いたくなるはずです。
しかし、そんな40代の人も、60代の人から見たら、どうでしょう?
60代の人も、80代の人から見たらどう感じるでしょうか?
80代の人だって、90代や100歳の人から見たら、「まだ私よりも体が動くでしよ。うらやましいねぇ」となるはずです。
つまり、月並みで使い古された表現にはなりますが、人生に「遅すぎる」などということはない。
嘘偽りなく、それが真理なのです。
ですから、何かチャレンジをしたいけれど、もう年齢が... と思ってしまったときには、「今この瞬間が、これからの人生の中で一番若い」ということを、まずは思い出してみてください。
「今さら............」というあきらめも、自分自身の感じ方の問題であり、幻想なのだということに気づくところから始めてみましょう。
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アメリカの国民的画家、グランマ・モーゼスは、無名の農婦から75歳で本格的に絵を描き始め、80歳で初めて個展を開いた。
結果的に絶筆となった《虹》は、101歳を目前に描いたものだという。
ケンタッキー・フライド・チキンの創業者、カーネルサンダースは65歳でレストランを失敗し全財産を失った。
しかし、失意の中、そこからフライドチキンのレシピ―を売り始め、実に1009回断られて1010軒目にしてようやく採用され、現在、125の国で約2万の店舗が存在するまでに成長した。
一介の農夫から養子に入り働きづめ働いて財をなし、49歳で隠居家督を息子に譲り、やっと、晴れて自分の好きな夢に向かう。
天文学、暦学、観測、暦算を学び、その後、ついに蝦夷地に向かい、以後9回にわたり、日本全図を作るため、73歳で亡くなるまで日本全国を歩いた。
とてつもない夢を実現させた伊能忠敬。
彼が、測量を開始したのは55歳のときだった。
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