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2022年07月23日01:05

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祈る手

実家に仏壇を残し、帰省のときに手を合わせる
ということをしていたら、このコロナ禍、暫く帰れなかった。
これはまずいと思い、仏壇を持ってきた。
この狭い家に仏間ならぬ仏場ができた。
当然毎朝水を替え、お線香をあげて手を合わせている。
我が家には厨子や毎年手に入れるお札などがあって
毎朝水を替え手を合わせていた。
それが仏壇にまで広がったという感じ。

仏壇に手を合わせていて、ふと思う。
両親は4年前に亡くなったのだから
まだ仏さんと呼んでいいのだろうが、
祖父母や曾祖父母は祖霊となって、神様になっているのではないか、
私の中で自然に神仏習合が起こっていることに気付いた。
仏教伝来から百数十年、奈良時代には神仏習合が始まっていたというから
何かの運動で起こったというより
当時の人々の心の中で自然に湧き起ってきた現象なのかもしれない。
明治政府が進めた神仏分離は、やはり間違いだった。

それにしても、と思う。
神や仏に合わせる自分の手が気になるのだ。
今四国八十八ケ所歩き巡礼のテレビ番組を見ているのだが、
時折地元の人が毎日祈っている姿が映り、
その手が祈り慣れていて、美しいのだ。
随分昔にも書いたのだが、沖縄の年配の女優さんが舞台の上で
手を合わすシーンがあって
その手が、祈りの手とはこうだ、
と言っているような手をしていて、
その手に惚れてしまった。

憧れの手の形である。


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