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2022年07月03日06:27

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投票日をクリスマスに

 来週の日曜日は参議院議員選挙の投票日です。すでに期日前投票を済ませたという人もいるでしょうが、この期日前投票を合わせても、このところの選挙の投票率は50%を切ることが多いです。
 なぜか?
 一言で言えば、つまんないからです。選挙に魅力が感じられないからです。
 実際、投票日が来るのが楽しみで楽しみでしょうがないとワクワクしている人なんてお目にかかったことがありません。
 それどころか、せっかく投票に行っても、「あの雰囲気、苦手(>_<)」と嘆く人は少なくありません。会場設営等の準備をした上、当日も早起きする公務員の皆さんには申し訳ないのですが、投票用紙記入時に(不正防止のためなのでしょうが)背後から監視されているのがやり切れないというのです。なんだか悪いことでもしているような気分になるのです。
 でも、こんなの公務員の皆さんの肉眼に頼らずとも、今日では監視カメラを上手に設置したり、認証システム等を活用したりすれば、ほとんど監視されてることを意識させないようにできることなんじゃないかと思います。
 それに、先の大統領選で、トランプが往生際悪く騒いだので日本人も知るところとなりましたが、あちらでは、大統領選でも郵送による投票が可能です。加えて、IT化の進んだフィンランドやバルト3国では、(まだまだ改善の余地はあるものの)インターネットによる投票も可能になっています(https://gigazine.net/news/20190311-estonia-elections-electronic-voting/)。
 今時、こうしたことをしようともせずに、旧態依然たる投票の形式を棚に上げて「投票に行きましょう」と呼びかけたって、そんなに劇的に投票率が上がるはずがありません。だから、毎度のように投票率が低いと言って有権者ばかりを責めるのは間違っています。有権者を責める前にあらゆる投票の機会・方法の確保にもっと積極的になりなさい!とどやしつけたくなります。
 不思議なのは、このように投票率を上げることには、とくにこれといった反対意見は見られないのに、国は投票率を上げるための具体的方策を打ち出すことには、あまりにも消極的だということです。
 先日も(選挙そのものについてではありませんでしたが)在外邦人が国民審査の投票ができないことを違憲とする最高裁判決が出されたことは記憶に新しいところです(https://www.tokyo-np.co.jp/article/179533)。
 ここで驚くのは、これが最高裁判決であるということです。ということは、つまり、国は税金をつぎ込んで、地裁、高裁、最高裁と3度にわたり在外邦人の国民審査の投票の機会を否定しようとしたということです。最高裁も含めて裁判所から3度もそれはダメと言われなければこんなことも分からなかったということです。ここまでして(国民審査とはいえ)国民の投票の機会を否定しようとしたとは呆れるほどなさけないという他ありません。
 海外のニュースなどを見ていると、時々、えっ、こんな所にも?という所に投票所が開設されている様子が出てきます。人気アーティストのコンサート会場とか、スポーツの試合会場とか、ショッピングセンターとか、駅とか、とにかく人が集まる所にはもれなく設置されていると言ってもいいでしょう。何か楽しいことや必要な用事をするついでに人々は投票も済ませることが出来る(わざわざ「投票所)という特別な場所に出向くまでもない)わけで、まさに国家の主権者、有権者の都合を最優先に尊重しているといってよいでしょう。
 そうなのです。投票というものは、本来、(国民の明るい未来を切り開くための)楽しいこと、必要なことと強く結びつき、主権者、有権者の都合が最優先に尊重されなければならないものであるはずなのです。
 なので、これからは投票日というものはクリスマスのような、楽しみで且つ必要な行事にすることを提案したいと思います。
 取り合えず、(国は大したことはしてくれそうにないので)投票に行ったら、自分にご褒美をあげることにしましょう(本物のクリスマスでもプレゼントを貰えますよね)。結局、自分の懐が痛むことにはなるのですが、それでも投票という良いことをすればご褒美が貰えると思えば、投票がグッと楽しみになりはしませんか? 投票を済ませた人全員が自分にご褒美をあげることにすれば、ちょっとした経済効果を生むことになるかもしれません(投票率が上がれば上がるほど、その経済効果は大きくなることでしょう)。少なくとも、どうせ自分の1票なんかで何かが変わるわけでもないと一人勝手に決めつけて棄権するよりはずっとマシです。
 また、クリスマスはキリスト教においてはなくてはならない(=必要な)神聖な儀式でもあります。ですから、投票日もこの日当選した候補者の公約を神聖なものとして大切に扱うことにすれば、当選者もこれを軽んじにくくなるのではないでしょうか。
 あまい、青臭いと批判する人はいるでしょう。でも本当にあまい、青臭いことであるかどうかはやってみなければ分からないはずです。今までこの国で投票日をクリスマスのように扱い、公約を神聖なものとして大切にした歴史はないのですから(今までの公約の扱いの低さにはひどいものがあることは実感している人も少なくないことでしょう)。
 それに、投票日をクリスマスのように、楽しく且つ神聖な行事にして投票率を100%に近いところまで引き上げることに成功したら、必ず新たな空気が形成されるはずです。日本人はこの空気というものに非常に弱い。きっと、この国の政治が生まれ変わる大きな契機となるはずです。
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