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2022年06月27日00:07

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遊民



人生の目的は無くても目的意識はある。


ほんとうは先週が切り頃だったのだが、12連勤のために行けなった散髪に行ってきた。金曜時点ではネット予約できず、最終手段で電話するか(電話苦手)と思っていたが、昨日見たら一個だけ空いていたからそく時空取り。午前中に行くのは初めましてという感じ。

徒歩で向かっている最中、「高等遊民」の概念がふと浮かぶ。憲法の本と、見かけた「それから」の書評で出てきたから。人生劇場の解釈として、全然別の2方向から同じことがやってきたとき、何かの啓示なのだろうとしている。きっと「それから」は未読。これから逢うのだろうな。

歩いていて思ったのが、僕はかなり「遊民」しているなということ。いや連勤してきたし、明日からの1週間9時間労働で、土曜日も出勤になっている社畜だが、そんな日々でも遊べては居るなぁって。「高等」の方はなんともいえない。一応大学院まで出ているから高等教育は受けているのだろうが、卒業したあと、むしろ今の方が自発的に学んでいる感じがある。「中等遊民」で良い。

戦後の社会史は最近よく出てくるから、そろそろ学ぶ時期なのだろうなという感じ。
高等遊民の語源も良く分からないところではあるが、社会に居てなおかつその社会を外から考察できるような人というニュアンスがあるような(たぶん僕の印象論)。夏目さん自身も社会に属していない訳もでないし。

遊民は侮蔑的なニュアンスがありそう。憲法の本で、現代の通俗道徳観に、勤勉、倹約、正直とかがあるということが書かれていて、なるほどなぁって。僕のいう「遊び」は浪費とか消費ではないのだが、そういう語義があるのも分かる。

僕は中等だから、世俗的な通念とか職業的経験則も大事とは思う。
でも、相対的な視点がないと、その本質は抽出できないのではという感じもある。本質はきっと方法論に留まらない応用が利くもの。まぁ、使う場があるかどうかは定かではない。


そんな感じで床屋に着く。いつもの店員さん。フォルムが違う。随分と絞っている。聞くまでもなく話してくれて、健康診断を契機として減量で遊んでいるのだとか。ゲーム時間を運動に当てて、水泳などをしているらしい。夜ご飯も高たんぱくで糖質なしだとか。健康診断的にどうなのだろうと思わなくもないが、この人は楽しんでやっている風だから、きっと変なストレスはかかっていない。ゲームのように自分をデザインしている。

こういう感じの人だから、話していて楽しいのだろうな。脳に良いことしているから記憶力が凄いし、表情も瑞々しい。某海賊漫画で最新の掲載について、ずっと前から考察している人が居たとかも、過去情報とのリンクが太い感じ。

あとは、過去のゲームの記憶とかも生々しいし。

この辺りで想ったのは、時間上過去とされている情報を再度掘り返すことって、もはや新しいことなのではということ。自分の過去のテクストを解釈することは自分が過去のままでない以上、新しいリンクになる。

新しいゲーム実況のことも収集し、さっぱりもして帰り道のスーパーでお買い物。ざるそばといなり寿司のセットと夜ご飯用の食材を買う。ついでにコンビニで家賃も振り込む。自動振替にしたいのだが、一回平日に電話しないといけないみたいで原始的な方法のままにしている。

そこから、ゲームしながら実況を見ていた。昨日書いていたアプリはとりあえず全クリまで行った。全クリすると漫画アプリでライフが付くためにやっていたのだが、さらにやり込みもある模様。緊急回避中は無敵で、どこで無敵になるとかタイミングがあって勝手にキャラが動いてくれないから、こっちも動く。

ゲーム実況も面白かった。60秒で爆弾が落ちてくるからシェルターに必要物資を入れなさいという自分で動かす要素と、その先の運と。自分でしようとは思わないが、見ている分には良い。略奪したら外界の治安が悪くなるという自業自得性はなかなかの作り込み。

いちいち考察しながら見ている訳ではない。念のため。
考察は感じに任せていて、後発的にスケッチしているだけ。


「それから」の書評を書いている人が転職活動真っ最中で、中途採用枠でしか就活していない自分の過去が再起された。福祉系の会社で、シフトを組んだりするようなやつ。社長面接の時に、僕が新しいことがしたいからと言ったら、「なんでそんなに新しいことをしたいの?」と返された。なにを返したかは残っていないが、結局受かった。ただ、遠いし当時東日本がアレだし母親に猛烈に反対されて今に至る。

僕が新しいことを求めているのは、古いのが悪いとかではなく、単なる自己の新陳代謝ふう。
古典を新規として読むのが最近の好みだし、時代とか社会の新旧とは別のこと。

現代詩で、「感受性くらい、(時代に巻き込まれずに)自分で守れ、ばかもの」というフレーズがあって、まさにそんな感じ。茨木さん。

新しさの指標くらい、自分で決めるもの。

新古今和歌集に「君が代」のフレーズが出てきて、苔がむす(蔓延る?)くらい君主の時代が続きますようにという由来なのか、無知が過ぎると思う。


色々が過ぎる。
もろ味噌を早速使った料理の話も書こうと思ったのだが、省略。


新陳代謝としての人生劇場において、ただ歩くということはきっと必須。
「天才脳」の本も、脳の健康には早歩きでも効果があると言っているし。筋トレも良いらしいが、歩けば十分。

ある意味ではただ歩くことの方が、車の運転より高次だと思う。車の運転において荷重のかかり具合とかを試行しだせば運動になるが、体を動かす部位は一部だし。もっと違う部位が活発になっている可能性もあるが。

とはいえ、脳って、脳に良いことをすれば稼働してくれるようなものではなく全生活の反映。
インプットだけでは身重になるし、アウトプットだけでは自転車操業になる。

ここの文章は僕が歩ける場として陣取っているというはある。
どこに向かうべくもない散策的な文章、読んでいて面白いのだろうか。

人のことは知らん。

そろそろ最後。
本の話。

アンダーグラウンド。まだ長々の前書きなのだが、どんどん地下に潜っている感がある。
僕はこの事件、リアルタイムでは四国の辺境でニュースを見ていた世界の外の出来事だったのだが、今更生生しくなってくる。

モノローグを発話した人はもう位相がズレているはずなのに。

このコンセプト、僕が三年越しで観測し続けている演劇と一致する模様。
こちらも、あるテーマでインタビューをした誰か個人を材料にしている。「争い」に焦点を絞ったみたいだが、個人的には初期の「生死観」の方が好き。まぁ争い観の方が分かりやすいというか、共感展に観られるのだろうなというのはある。

個人的には人って争いから解放される可能性をもたらされた人格な感じがする。
だって、自分から離れたことを認知できるし、考えることもできるのに。

はいおしまい。

おやすみなさい。

良い夢を。


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