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2022年05月25日00:57

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飛鳥 その2 石舞台

次に行ってみたかったのは、石舞台。
古墳の中に入れるので、入ってみた感じが知りたかった。

上っていくと、そこには写真でお馴染みの石舞台が。
近づいてみると、岩の隙間から中がのぞける。

ちょっと不思議な感じ。
中に入ってみる。
私と同じように中をのぞく人がいる。
のぞかれる感じって、ちょっと気持ち悪い。

岩の隙間から差し込んだ陽が、床に面白く映っている。
写真に撮ってみたが、実につまらない。

外に出て回りを見ると、
実は方形の基壇の上にできているのに気付いた。
なんとなく円形の上にあるものと思っていた。
そこに椅子に座った人がいたので、
もしかしたら何か知っている人かと思い声を掛けたら、
案内のボランティアの方だった。
実に親切に教えてくれた。

発掘する前は、周りに小さな古墳が7つあったのだそうだ。
全体像を知るためその小さな古墳は壊し、
出てきたのが方形の基壇だったのだそうだ。
ここは蘇我馬子の墓。
ここから見える谷あいのちょっと開けたところが、
大和朝廷のあったところだそうだ。

ここから九州は隼人を平定し、朝鮮半島まで出兵し
東は関東から福島辺りまで支配したのか。
”あづま”は”あ”の”つま”、つまりあっちの端
ならば反対があるはずで、考えたら”さ”の”つま”があった。
つまり薩摩。
そんなことを何かの本で読んだ。

また別の本によると、
ここから東に行くと三重県の亀山にぶつかるのだが、
そこに”関”という所がある。
まさしく関が設けられ、東からの守りになっていた、
この関の東が関東、西が関西となったのではないかと、あった。
地図のない時代に、空間、距離感をどのようにしてつかんだのだろうか。
ふしぎだ。
でも北海道のど真ん中で育った私には
なんとなくではあるが、
やっと大和朝廷のあった土地勘を持つことができた。

その後アーカイブスのテレビ番組で、
石舞台がどうやって作られたのかを実証するのを見た。
面白かった。
これも縁であろうか。
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