アカデミー賞発表&授賞式で起きた目を覆いたくなる事件は、
直ぐ様世界的に報じられ、忽ち多くの人が知る事になった。
一介のラッパーに過ぎなかったウィル・スミスが、
司会を務めていたこれまたミュージシャンのクリス・ロックを平手打ちした、
という件である。
無論、出来事を切り取るときに我々が目にしてきたような切り取り方自体が
既に問題があるが、それについては後述する。
全ての原因はクリスがウィルの妻であるジェイダ・ピンケットの
患っている脱毛症を揶揄するようなジョークを飛ばした事にある。
見え方を変えると、紆余曲折はあったが
「ウィル・スミスがクリスロックを殴打した」としているが
クリスのジョークが「始発点」である事実は揺るぎない。
このジョークに会場の出席者の多くが笑い、会場は沸いたのだが、
妻を侮辱された事で激昂したウィルが突如壇上に上がり、
クリスを平手打ちし侮辱に対して報復したのである。
この報復手段が一般用語でいう「暴力」に相当するため、
これを問題視したのが冒頭の顛末に於ける主旨である。
しかし、クリスが行った晴がましい席に於ける容姿を揶揄した侮辱的ジョークに
もしジェイダが不快な思いをしたのであれば、
クリスもまたジェイダに「言葉の暴力」を浴びせた事になる。
これはこれで問題視されるべきではあるのだが
しかし、最大の問題はここにはない。
どうして、容姿を揶揄したジョークに聴衆は沸いたのだろうか。
もし、クリスのトークがスベッていたとしたら、
MCは失敗だがジェイダは同様に傷ついただろうか
どうして侮辱と受け止めたジョークに
ジェイダ本人ではなく、ウィルが報復したのか。
ウィルがジェイダに代わって報復したのか。
但し、実はそうではないとも考えられるだろう。
そしてこのニュースが報じられた時に
多くの受信者はこの大きな違和感、
いやそれを感じなくとも矛盾点を指摘しないのか。
この3点が大きな要点である。
原因となった件の「ジョーク」は
スタンダップコメディの世界ではよくある、行き過ぎた表現
である事は容易に指摘できる。
つまり、クリスは与えられた役割を果たしたとも考えることが出来る。
特にクリスには「前科」があり、
自らも「黒人」というアイデンティティ上の苦労があった立ち位置でありながら
人種差別に繋がる発言を繰り返してきた。
しかし、ジョークとしてである。
仮にクリスに代わってその位置に白人司会者が居た場合、
悲劇を通り越してアカデミー賞の権威まで揺るぎかねない事故になっていた筈だ。
白人が黒人の外見を揶揄して世界的に注目する場で辱めた事になるからである。
発言した本人に留まらず「台本」に対して批判が集まるだろうからである。
ただ、黒人スタンダップコメディアンが
同じ出自の黒人に対して同類として卑下するようなジョーク、
歴史的にそれはずっと存在してきたものであり、
近年になって劇的に人権問題にシビアに接するようになったため、
実はこれはクリス以外の司会者も数多踏んできた「地雷」なのである。
識者のコメントなどでも
まるで「他の司会者なら犯さない罪」のように述べられているが
アカデミー賞が長らく「ホワイトアカデミー賞」と揶揄されていたように
黒人を軽視した発言は以前からあったし、つい近年まで容認してきたのである。
ただ、その問題を避けるようにしてシレッと続けられてきた。
それは無かったことにするのは社会の身勝手だ。
彼が飛ばした類のジョークは
近年のこういった式典には相応しくないのは事実だが、
このような事件があったと知った今も、
世界中の黒人は外見や病気を揶揄し日常会話で使っているし、
いちいちそれを咎める事は無いだろう。
周りの観衆?式典の参加者はどうだろうか?
笑った、即ち、彼の発言のニュアンスを理解しているという事は、
表には出さないけれども
差別的ジョークのの趣旨を理解し
笑うことが出来るセンスを保有している事を意味する。
差別発言の受容体がある、という事である。
つまり、クリスが犯した罪は彼の中では
場に相応しくないジョークを飛ばしただけ、なのである。
しかし、それが誰かを傷つけたと彼が知ったなら、
少なくとも相手=ジェイダには謝罪が必要である。
恐らくだが、遠からず事態の収拾に向けてクリスは
いつになるかは分からないが某かアクションを起こす筈で
その中にはこれが含まれると思う。
根が深いと言われているのが、
有色人種差別に対してアクションを起こしてきたウィルとジェイダ夫妻に
自らも「黒人」のアイデンティティを持つクリスが
過去からの確執があったと噂されている部分である。
そして主催社が批判を免れないと言われているのが
元々彼は際どい表現のジョークを飛ばす事で知られているからこそ、
今回も司会に起用しているという点である。
こうなってしまうと、クリスも主催者も共々事態の収拾は不可欠である。
但し、クリスがジェイダの病気を知らなかったか、
若しくはうっかり忘れて述べたのだとしたら、
これは単なる“ミステイク”であり、
謝罪で済むかどうかはジェイダが決めれば良い。
そういう次元の話である。
仮に人前で放屁してしまった時、
それが失礼に当たったとしても“ミステイク”なのだから、
謝罪以上のものは求められまい。
寧ろ、この心無いジョークを笑った観衆諸君の罪は重く深い。
下卑たジョークでも“つい、笑ってしまう”事は罪ではあるまい。
しかし、それもまた彼女を傷付ける事に繋がると
“知っている”人にはそれでは済まないだろう。
必要があると考えるなら全員がジェイダに謝罪すべきである。
「笑ってしまってごめんなさい」と。
次の問題が厄介である。
ある俳優は今回のウィルについて「野蛮な男らしさ」と表現したが、
当にそれについて、である。
少なくともジェイダは“表現者”を生業にしている俳優であるから、
今回のジョークに対して感じたことを表明する事が不可能な存在ではない。
勿論、表現しなかったとしてと罪は一切無い。
ただ、不快感を誰よりも早く野蛮な方法で表したのが
本人ではなく夫のウィルだった、という事なのだが、
それを“当然の反応”或いは“期待される行動”として報復が完遂されるまで、
多くの人が看過した点が問題なのである。
ここからは憶測も加えて述べるが、
スミス家には未だトラディショナルな価値観に基づいた家父長制度が根付き、
社会全体もこれを容認しているのだろうか。
男尊女卑的な。
妻が傷つけられたら、
夫が出張って報復するのが認められる世の中の道理なのだろうか。
あるいはこういう時は、じっと耐えるべきだろうか。
確かに社会のウワベでは男女は同権で、
個人は独立して権利が守られるべきだが、
妻の受けた侮辱を夫が暴力で報復するのは当然と考えるべきだろうか。
「いや、違う」と述べるのは簡単だ。
だが、ウィルが座してこの事態を座して我慢していたら
彼に名する評価はどうあっただろうか
法的或いは社会的な取り組みとしての理想像は
それとは違うから、そう言えるのだが、
自らをウィルに置き換えた時に果たして
我々は同じ境地に到れるのか?と考えると
多くの人は悩むのではないか。
「ウィルが怒るのも当然だ」と云う意見には、
「妻や子供は父親が守るのさ」という思想的基盤が存在する証拠で、
ウィルが取った行動の趣旨は
「俺の女の侮辱は許さん」という
ややもすると野蛮な主張でもあるのである。
つまり、家族を男が守るのは当然だと思うような思想が、
まだ世の中には支配的に存在しているのではないかと指摘出来るのだ。
仮に自分の子供が何らかの暴力的言動で傷付けられた時、
人は報復せずに我慢できるのか?と問われているのである。
だから、容易ならざる問題があるのである。
そして、冒頭に述べた報じ方の問題である。
「クリス、ジェイダを侮辱」
「ウィル、クリスのジェイダへの侮辱的ジョークに激昂」
「ウィル、クリスを平手打ち」
という見え方に加えて、
「聴衆、クリスの侮辱的ジョークに沸く」
「聴衆、ウィルの蛮行を阻止せず傍観」
「ジェイダ、クリスの侮辱的ジョークにも静観」
という切り取り方もあったのではないか?と指摘したい。
この一連の出来事に対し、
主催者はウィル・スミスへの本年度の主演男優賞を取り消す取り消さないと騒いでいるが、
本来は厳密に云えば、
演技や素晴らしい表現に対して授与されるべきアワードであるから、
作品外の言動に対して賞の授与の可否を決めるだけの重要性を認めるのなら、
この賞の権威は失墜するだろう。
例えるなら、世界一のフィギュアスケート大国の
ロシアが参加しない世界選手権に価値はあるか。
アメリカから一流の選手が参加しないワールドベースボールクラシックに栄誉はあるか。
社会的規範に即したとその時々の基準で満たされるものだけが
栄誉に与る賞なのか。
主催者が渡した台本通りに喋るクリス・ロックに価値があるのか。
社会が「●●を無くすために」と打ち立てた行動目標は、
まだ成熟していない社会にフィットするのか。大衆はちゃんと付いてくるのか。
これは断じて否である。
レディースデーとか、女性優待とかのサービスに喜んで乗っかる女性に、
男女平等なんて本当に響く言葉なのか。
ウィルが「俺の妻を侮辱するな」と蛮勇を奮った時に、
「引っ込め、ウィル」とどれだけの女性が違和感を感じたのか。
クリスの心無いジョークがウケるような感覚の人たちの中から
選ばれて受ける賞がウィルは本当に欲しいのか。
クリスのようなトークを期待して起用した主催者に対してリスペクトはあるのか。
全てが議論されるべき問題だったのである。
既に指摘しているのをまとめると、
被害者はジェイダ一人ではなく、クリスも被害者である。
但し、加害者はクリス、ウィルに加えて周りの笑った多くの出席者も加えられる。
加えて法的コンセンサス上はウィルは越権行為であり、
それを制止せず助長した場合は責任もジェイダには伴う。
それが歴史的価値観に基づいた正義で満たされていたとしても矛盾しない。
我々が議論すべきは
「妻を大衆の面前の晴がましい席で愚弄された時、夫が奮う蛮勇を如何に扱うか」
なのである。
今回の結末で間違った結論を導きだしてしまうと、
SDGSって意味は何だ?と矛盾を生むだろう。
兎に角、暴力はダメだ、などという結論ありきの理想論には
突然投げ込まれた爆弾処理と同等のリスクがあったのである。
※この文章を推敲している内に、ジェイダ・ピンケット=スミスが「事態の収束を望む」と声明を出した。それで済む話だとは思わないが、恐らくスミス家の見解としては「悪いのはクリス・ロックの方」だから、平手打ちするという手段を採った事は謝罪しても、この騒動を起こした原因はクリスにあるため、無条件でウィルが謝る道理は無いと考えるだろう。
ウィル・スミス“ビンタ事件”受けNetflixの新作企画中止
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=84&from=diary&id=6911349
ネットフリックスが、ウィル・スミスのプロジェクトを中止したようだ。
ウィル主演で計画されていたアクションスリラー映画「ファスト・アンド・ルーズ」だったが、先日のアカデミー賞のステージで、ウィルがクリス・ロックにビンタしたことを受けて、企画自体が棚上げになったという。
ハリウッド・リポーターによると、同作の製作を続ける可能性はまだ残っているものの、その場合はウィルに代わる俳優を起用する方向のようだ。
同新作では、襲撃に遭い、記憶喪失となった犯罪組織のボスが、様々なヒントを繋げた結果、自身が組織のボスとCIAエージェントの2重生活を送っていたことを知る姿を描いている。
ちなみにウィル関連では、ソニーによる「バッド・ボーイズ4」の製作が一時中止となっているほか、プリプロダクション段階の他の企画もそれに続くものと考えられている。
また、ウィルは最近、アカデミー賞を主催する映画芸術科学アカデミーの会員辞任を発表していた。
「アカデミーからの懲戒に関する聴取の通知に直接返事を致しました。自身の行動による如何なる処分も受けるつもりです」
「第94回アカデミー賞の席における私の行動は、ショッキングで痛々しく、許しがたいものです」
「私は多くの人々を傷つけました。クリス、彼の家族、私のたくさんの大事な友人や愛する人々、出席者全員、家で視聴していた人々をです。アカデミーの信頼を私は裏切りました。他のノミネート者や受賞者の方々の素晴らしい仕事を祝う機会を私が奪いました。心が痛みます」
「彼らの注目に値する功績に再び焦点が当てられ、そしてアカデミーが、映画界の創造性や芸術性をサポートする、その素晴らしい仕事に戻って頂ければと思います」
「故に私は映画芸術科学アカデミーの会員を辞任します。そして理事会が適切とみなした如何なる処分も受けるつもりです」
「変化には時間がかかりますが、どんな理由があろうとも暴力は許されないということを心に留め仕事を続けていくことを誓います」
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