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2022年02月26日01:01

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音の主観性










雑音の可能性がある限り音信はできない。







音は耳を塞がない限り自動的に入ってくる波だから客観的な現実の一部。

ただその音に対してどんな反響をするかは当人の世界によりけりだから、主観的で良い。




自覚的には聴覚は人並みだが、歴史を辿るとやたらと過敏になっていた時期がある。これを想ったのが今朝。目が覚めるといつもより早くてなんぞやと思ったら、隣人が5時くらいに洗濯機を回す音に反応したらしい。怒気の反響はなく普通に二度寝をした。




このざっくり感は、過敏な時期では無理だった。水滴が落ちる音が気になって眠れないとかあったし、人の発声に含まれる怒気の色とか。音の反響ってナカが物で詰まっていたらだいたい雑音とか異音になる。ほんとにパンパンだった時は、聞いているのに聞けてないし、聞きたくないのに聞こえるし。




人間は水分が多くできている。耳も管。どんな音もナカで反響している。




発声でなくとも、言葉は音に含まれる。




発信が雑音でない自然音だとしても、自然に出している言葉ではない。お祈りも観測も変わらないし。ただ、バランス大事。







さておき。




自己に立ち戻っていく道すがら、自分の世界が再構成されている。




仕事で同期が伝達事項(大したことではない)をすっぽかして帰ったことに対して、上司に「(貴方が)甘やかすから」みたいに軽口を言う。同期は甘やかすと返すのではなくぬるま湯に浸る感じがあるから、たぶん甘味の中で生きてきたのだろうというがある。ただ、これは計算ずくで、手を抜けるところではなるべく抜きたいのかもしれないという説もある。




研修時(3年前くらい?)の雑談で大阪にやってきてから結構苦労をしたっぽいし(このエピソード自体が虚構という説もあるが)、なんだかアンバランスな感じ。別に変な人ではない。ここでの重点は、本来の僕は別に真面目ではないし、なんなら真顔で冗談を言う奴だったということ。忘れていた。







出勤中、ふと、自分は診断されていないだけで、かなり「病んでいる」のではという発想が起こる。ここの意味は一般とのズレ。ただ、診断される「病んでいる」って、おそらく自傷他害の性質があることだと思われる。ここにおける自他もよくよく考えるとよく分からなくなる。物体としての命なのかものとしての精神なのか。正常とされている人が容易く人の精神を傷つけるところからすると、病んでいる認定の甘さよ。




法的な判断力が劣っている人をかつては禁治産者と呼んで、今は制限行為能力者と呼ぶ。僕は法律学読んでなかったら、全く判断力なかったと思う。今や別の意味でないが、法学の教養を得てない人が法的な判断をきちんとできるって、なかなか無茶振りだが、たぶん一方当事者として利害関係を判断できる能力ということだろうな。相手方への考慮はここには含まれていない。はず。




僕の素朴が、外付けの繋がりに不信感を持っているから、外付けの関係の枠内での交換がなんともいえない。







人の心の中に構造化されている「部屋」の概念の話。

精神構造が現実の建築物を建築する話を読んでいると、きちんと可視化してみる試行はアリ。




ナカに入って来れた人にだけ開示する精神があるという節はとても分かる。ただ、このナカって、現実の関係としてないか。だから変なことになる(なった)。たしかに、甘えたり凭れたりは在りうる。でも、この関係は交換が前提にある訳で。




文化人類学では、ナカの関係は結婚できない人で、異人ではないソトは結婚できる人という話もある。なかなかの真理。こういった生身の感覚は割とどうでも良くなってきている。




自分の精神が閉じこもっているという自己観測ができる人は個人になりつつある。

(知らんけど)




僕は、ナカの部屋でほんとに人と過ごしたことがたぶんない。自分に連動しない他人で居て良いと許容されたことはインターネット世界ではあっても現実にはない。




現実の関係は深いのではなく、現実的であるという他からの観測できるところにある。

外から観測されることに価値があるとは思えないが。







という意味で言えば、この日記の文章群で表現される僕が中身として僕であって、ガラス張りの生身。まぁ批判とか肯定されても揺らがないから、防弾ガラスなのかもという節はある。




観測は随意に、ただ、どれだけ読んでも僕のことは分かりませんよって。




だって、存在は言葉で表記できるところには居ない。







当たり前の話。




この当たり前に至れず、病み傾向に馴染んだりしてみた歴史があったが、素朴はポジティブでもネガティブでもない。宵顔さんは何1つ素朴を返してくれなかったけど、僕としては貴重で希少な存在だし、呪詛は全くない。現実的な関わりの可能性があることを閉じてくれなかったからややこしくなったが、本来なくても良いことだし。




最後に自省録だったか、違う本だったか。




自分のことを好いてない人に好かれたとこで意味はないというフレーズがあった。




分かりみ。




薄情者っぽい。




ここまで。




おやすみなさい。




良い夢を。
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