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2021年10月29日23:31

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残り香



夢は、ペルソナとも魂とは関係ないただの癒し。具体的な人物としての好意からは離れても更新は他と同様に読むけどなーと疑問に思っていたらこれだもの。膝枕のようなものからふとももに唇を這わせると、お返しとばかりおでこに接吻される。流用されたものでしかないが、感触の記憶は生々しい。

自分の感情には自分が関与できない起こりがあり、独立したものではない。ここまでくるとどうして具体的な対象としての感情を継続させようとするのかという問いが起こる。私信を送ることができる地位のためなのか、何なのか。仮に宵顔さんが参加するイベントが前もって分かったとしても、僕はイベント自体に興味がないと行かないし、会ったとしても特に何かするわけでも無い。この好きは別に行動のエネルギー源にはならないのに。

内心だけの領域にすれば心の暖が取れるとはいえ、そこまでして暖がなくても問題ないのに。十分にハッピーそうな生活模様が文意としては読めるのに、不可思議だ。

僕の私信なり文章が、当人の存在になんらかのごりやくがありそう、なんてアクロバティック過ぎる解釈。

さておき。

少し実生活。

景色も須らく好きなのだが、とりわけ、山に雲の影が落ちるのがたまらない。開けた土地とか車窓でしかあまり見えないのだが、本日は出勤中にちらっと見えた。朝の月も捨てがたい。

昨日母親からのラインで「新米どうですか」と送られてきたとき、ちょうど米を洗って予約炊きしていたところで、「明日の弁当食べます!」と返した手前、昼間はお弁当画像を貼るついでに母親にも送った。「新米美味しいです!」。よくよく見ると梅干しが少し欠けていて、ご飯を一口食べたのが分かるように撮った。おわかりいただけただろうか。

仕事では女性上司から朝一で雑談を吹っ掛けられた。「法曹を足掛かりに政治家になれば良いんじゃない」。何の話や。ただ、メンタル強いよなって言われて、確かにそうですね、あんまり(負の)感情長続きしないしと応える。

僕のメンタルは、強靭という意味合いでは強くない。ただ、塞ぐみたいなこともない。この文章を読んでいる人は僕の感情のバイオリズムで落ちたり上がったりしているのを見ていると思うが、これはただの機微みたいなもので、日常生活で何か支障があるような現象でもない。まず、文章を綴れなくなるところまでは落ちないし。体温が1分か2分下がったくらいな感じを顕微鏡で解像度上げて綴っている感じ。

霧がかっている頃、割と絶望寄りの環境でぼろくそやってみていたこともあったが、そういうフリをしていただけという感。いや、そういう感覚は僕の中にもあるものだから、合わすことは問題ない。尋常ではない閉塞感だったが、そういう層もあるのだよな、とこの前まで自分の失敗に対して悶々と考えていた奴がのたまう。

誰の精神性にも合わさなくて良くなると、戻ってきた感がある。糠に釘なのか、いや、竹に強風みたいな感じで、もともと受け流す質だった。これが上手く行かなくなったのは、人には強靭に統合された自我があるというフィクションに倣ったことによる。自分が自分がとなるが、その自我も無意識が仮設したものでしかない。

というのをちらっと読んだkindleの悟りについての本で読んだ。別に自分が何かと独立した存在ではないとなったところで自分では在られる。気付きを意識する、世界をあるがままに捉える、もうやっていた。健康な自我があると設定するのが絶望と言うキルケゴールさん。ここでいう神はたまたまキリスト教上の神として設定されるだけのものだろうなぁ。

色んな人が同じことを書いている。

メンタルの強さ。何故女性上司が何故そう捉えたのかはなんとなく分かる。全然人とも家族とも会っていないのに飄々としている、仕事を休まない、あるいは醸し出す雰囲気。雰囲気といえば、職場で何回か癒し系だったと評されたことがある。大学時代のコンビニバイト時にシフトが重なったお姉さん(ちょっと気になっていたが何もなかった)とか、軽作業向上のパートさんとか。舐められているのかなぁと解釈していたりしたが、今から考えると世界に対する動じなさという安定感という安心を醸していたのかもしれないという解釈も生まれる。

慌てたり、抜けていたりするのは自己防衛んも処世術だったが、根っこはそこまで動じていないみたいな。

僕の現実像は、悠々していると見えるはず。
割と初めての場に動じない。ただ、誰かの中にこいつはそんな奴という像が形成されてしまうとそこに合わせて動けなくなるという面はある。決められるということは、相手の中に情報量が増えるという意味で親しみかもしれないが、僕はそういう意味の親しみをあんまり信じていない。情報として捉えてしまえば、いつかキャパオーバーがやってくる。

まぁ良いや。

政治家という世界線もなんだか面白いなと思った。選挙権を行使するより、政治を考えることの方が合っている。ほんとうの政治家に必要な素養は、政治学とか経済学の知識ではなく、どこを切り捨てるかという決断力。国民も行動経済学的に、政治について考えたり投票したりすることより、自分の生活の中で動いた方に効用があるし、権利だという建前の義務で選ぶから良いことを言う人にしか投票しない。一般的関係ではイイことばかり言う人は信用ならんとなりそうなのに、投票になると変わるのかな。

政治が雑談で語られるとき、自分とは無関係な文脈で語られることがあるのだろうか、んなことはない。同じように、政治家は制度的に当人の思想で国益を追求できないようになっている。立候補にはお金が要るし、政党に入っている方が有利。

自分(が属している層)に都合が良いことしか考えられなくなっている縛り。これは人間の自然の摂理では全然ない。僕が政治家になったら暗殺される未来しかない。十二国記という僕の中でとても大事にしている物語があるのだが、その中に、官僚の清廉潔白を徹底したことによって逆に国が衰退したというエピソードがあった。僕はそこまでしないが、技術の進歩を制限させている既得権益は排したいところ。

政治学は共存のためのルールを探る学問というのがあったが、共存はできるようになったからこの先どうするかを皆で考えようという世界になったら良いなという感じ。

ルールを設定できる立場になったらどうするだろうな。
もっと法律を読みやすい言葉に書き換えるとか。

という、一瞬の空想。


なんだっけ。

世界は可愛いで満ちている。
と、思ったのは、古参の先輩が昔行った旅行先のことを楽しそうに語っているのを見た時。しぐさとか笑い方が良き。

そろそろまた友人(御神木)巡りをしたいと思う。洞にボトルメール入れても良いな。


でもなくて。

人の見え方が、変わってきている。多数派とかマイノリティとかみたいな垣根はなくて、皆が個人。


でもないか。

「硝子戸の中」も読み終わってしまった。夏目さんはほんと文体が正直で良い。親しみを感じてしまう。あと、失われた未来を求めての1巻の読み返しも止めて、ニューロマンサーも読み終わった。ニューロマンサーの面白さはさっぱり分からなかったから時間を置いて読み返し。

そうか。

なんだか、自分が生きてきた痕跡が生々しく再現される中、再現されないことは何なのだろうな。全然無関係な職場の人たちとのやり取りは残っているのに、家族とのやり取りで残っていることがほとんどない。意識に取り上げなくて良いのは、安心ではないような。

残っていないのは、投げ槍だったシーンだけ。
覚えている訳でもなく、残っていること。

この切り分けが自分の中でなんだったのかがとても気になる。長く過ごした恋人さんとはいっぱい会話したはずなのに、残っていない部分がある。

いや、会話を全部残すということは無理だが、感じのこと。

変だな。

おしまい。

おやすみなさい。
良い夢を。


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