ひろゆきがとりあげた人生親ガチャっていう言葉が最近論議されているが、どうでもいいことだと個人的には思っている。
親ガチャで自分は不幸だなんて言う人がいたら、そんなん言い訳ですよ。
人はね、もともと、みじめで、情けなくて、悲しいものなんです。
人生はね、もともと生まれた瞬間から、死ぬためのカウントダウン。生きるために常に何かを殺して生きなければいけない、そんなつまらない一生なんです。
そんなに悲観的に見なくてもっていうご意見があると思いますが、じゃあ、自分やあなたの飲む薬、それをごらんになってみて下さい。
それの為にどれだけの動物が犠牲になっていると思いますか?
30年前のことです、生きたブタを板におさえつけて、わざとバーナーで焼く動物実験のビデオを見ました。
ブタの絶叫たるやすごいもので、焼かれた後もまだ生きていて、涙を流しながら実験スタッフの与える水を飲んでいました。
火傷につける軟膏の一つにしても我々人間というものは、いくつもの動物に支えられて生きているんです。
人間の生は、人の一生は、いうなればそういう虚しさの中で成り立っているのであって、本質は虚無感の連続だと思うんです。
これはどの親から生まれても、どの場所に生まれても、同じ問題で、生の本質から逃れ得る人間はいません。
ただそんな人生を有意義に過ごすのはどうしたらいいか。
銀次郎としてはタイのスラムでボランティアしているのがけっこう面白くて、このずぼらな銀次郎としては珍しく10年以上続いています。
「この銀次郎だって救われてやっと人がましく生きられているのだから、せめてこのぐらいは。」
とやっていたのですが、これが理想と現実は逆でした。
少ない予算でやっとのこと子供達にお菓子やプレゼントを用意しているのに、
「なんで全員分用意しないんだ?ふざけるな、これでは足りない。」
とかえって罵りを受けることが多いのです。
タイのタクシーともめたときは、
「・・お前は金持ちだろう??えらい立場だな??」
との声もたくさんもらいました。
ボランティアスタッフも、こういう言葉でせっかく手伝ってくれているのに、抜けていくことが多いのです。
しかし人間の本質とはなんなのか、銀次郎はずっとそこを考えていました。
ネットでは誰か悪人を総攻撃、炎上することがあります。
また逆に、誰かいい人に見える人物を祭り上げて、連日とりあげることがあります。
ただ銀次郎としては、世の中に100%の悪人も悪人もいないし、100%の善人もいないと思えるのです。
親ガチャで”当たり”をひいた人も、成長してずっと就職や結婚で当たりをひき続けるとは限りません。
むしろ逆のことが多いのです。
人生はぜんぶガチャです。親ガチャで当たりを曳いても、次には試験ガチャがあり、就職ガチャがあり、結婚ガチャがある。最後に”死”のカプセルがでることだけが決まっている。
考えれば考えるほど虚しいのです。
一方で、自分の場合はスラムに時々真実を見ている気がしています。
以前、こんな風景をみました。
人生、全てなげやりになって「家族なんてくだらん」なんて言っている人が、TVドラマに涙を流している。
いつも鎖をジャラジャラいわせて通りを歩いているような少年が、自分たちが演じる忍者ショーを目を輝かせながら見ている。
そういう場面を目にして、自分としては思うんです
やっぱり人は、人生は、親ガチャでひとくくりにまとめて言えるほど、単純なものではない。
その気になればきっかけはどこにでもあるし、虚しく過ごすのも、有意義に過ごすのも、その人の見え方次第だ。
ここで読んで下さっている銀次郎のお知り合いの方は銀次郎が最悪の親ガチャを曳いていることをご存じだと思います。
それでも自分なりに幸せに生きていること、なんだかんだとくだらないイラストを描きながら、車中泊を重ねてダラダラ生きている。それもご存じだと思います。
ここまで色々ああだこうだと書きましたが、人生、親ガチャだけで判断する人は、けっこうもったいない人生を生きているなあと、銀次郎は思います。
※写真は他者の生命を喰らい屠ることで命を長らえている獰猛猫
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