mixiユーザー(id:13253386)

2021年09月11日12:42

99 view

田舎の恐ろしさ

東京に来て、環境と人に感謝している。

知り合う人、知り合う人、いい人たちばかりで、人はやはり住む場所を変えることがいかに重要か思い知っている。

もちろん、辛い経験ばかりであった故郷広島も、あれから30年経ったのだから、人も風景も変わっていようが、それでも田舎独自の差別や偏見は未だ色濃く残っていようし、何よりも平和原理主義とも言えるような、無意識にではあっても、先祖を毎日愚弄して生きているような人たちと同じ環境にいたくない。

先祖を100%否定し、戦前の価値観を全て変えたからこそ、過去あれだけ暴力団が跋扈したのだし、毎年のイベントは暴走族に蹂躙されるような街ができあがったのだろう。

少なくとも自分はそう思っている。

自分の文章を見て、

「どうして生まれ故郷をあしざまに罵るのか」

と不快感を持つ人もいるだろう、それがふつうの人だと思う。

特に広島に観光に行った人たちは、山に囲まれた広島は美しい緑の街であり、日本三景の宮島を始め、港風景の明媚な呉などに思いを馳せると思う。

しかしどこでも言えることと思うが、そこで働き生まれ育つ人と、観光客が見える風景とは、真逆なことがある。

例えば、一村、とある有名宗教で覆われた地区に、キリスト教の一家が住んだとする。

その一家は、回覧板しかこないかもしれない。ゴミ出しにでるのでさえ、ヒソヒソささやかれるような一家になるだろう。

またあるいは、その一家の子供が共通語を話し、家族がマツダではなくBMWやベンツに乗っていたとする。

それだけで一家の子供は学校でいじめの対象になるだろう。

そんな徹底的に没個性が求められる田舎は存在するのである。

過去、自分はこういう地域性は広島だけなのかと思い、徹底的に日本中の事件を調べたことがあった。

中にはそんな地域性で事件になった土地もあるはずだ。

すると、こういう土地柄は、何も広島の田舎に限ったことではなくて、山形県のマット死殺人事件に代表されるように、最近では旭川の少女自殺事件でも見られるように、調べればけっこう出てくる。

山形のマット死事件は、一家が標準語を喋り、豪華な外車を乗っていたことから、村八分のような環境に陥っている。

旭川の事件は、あれだけの大事件であるのに、一村どころかひとつの市がまるごと隠蔽に走り、事件の起きた中学ではアンケート結果さえ公表しない異常事態に陥っている。

あそこまで極端な事件が起こる前に、周囲の人たちは気づかなかったのか。

いじめで自殺が起きるような事件、誰かが縊り殺されるような事件は、必ず予兆がある。

自分から言わせれれば、

「ある日突然、わからないうちに子供が死んだ。」

と、よく事件当事者の学校教師達がいうようなことは存在しない。

それどころか、その一家は何度も何度も周囲にSOSを発信しているケースが多いし、その子供の変化に周囲の大人は気づいていたはずだろう。

誤解を厭わずに言えば、その一村が巨大な機械のように連動して、被害者家族を追い詰めるのである。

この銀次郎としては断言できる。この日本には、引っ越してはいけない土地、住んではいけない地区は存在する。

時々民放TVで、憧れの田舎生活といった様な番組がよくやっていて、さも別天地のような印象を垂れ流しているが、あれを見て自分は思う。

この番組を見て田舎生活に移行した人で、どれだけ地獄を味わう人たちが増えるだろう。

もちろん全部が全部そうではないと思うし、中には成功した人もるだろうが、それにしても、田舎に移住して幸せになることは、下手な外国に行って暮らすよりも難しいことだとこの銀次郎は思う。
6 7

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する