自分から言わせれば、男は普段ミノムシみたいに地味なのがちょうどいい。
この銀次郎の場合は、ミノムシ足らんと思って好き勝手なことをしていたら、勝手にタイのメディアとかが寄ってきて、一時期メディアに晒されたわけだが、あれは彼らの勝手であって、普段はたまの贅沢がゴーゴーカレーという、つまらないおっさんである。
自分は虫が好きだが、その中でもミノムシが好きだ。
ミノムシほど偉大な虫がいるかと時々思う。
雨を受け入れて濡れぼそり、風に揺られて凍えながら、ただ起きる出来事を受け入れて、不幸を受け入れて、ひっそりと暮らしている。
外側からこれほど地味に見える虫もいないと思うが、当のミノムシがしゃべられるとしたら、
「冗談じゃない、俺はこれが幸せで輝いているんだ。」
と笑うだろう。
余談だがミノムシが作る繊維は今の科学でもつくられないほど強靭で繊細である。
米軍が使っている防弾アーマーのケブラー素材よりも強いという説が有る。
ミノムシはあの貧相な身体でそれを作る。
ミノムシがいるとそれを何十分も眺めて飽きない自分であるが、時々人から呆れられる。
しかし人間の男も同じじゃないかと銀次郎は思う。
普段の暮らしは質素でよい。食べ物も栄養が足りていればそれでよい。着る物も彼女や妻に選ばせて、丈夫で質素なものを着ていればそれでよい。
借金してまで、他人を謀ってまでぜいたくする必要がどこにある。
鮮やかな蝶や、派手な鳥ばかりが必要な世の中ではあるまい。
ミノムシをはじめとしたその他大勢の蛾こそが、生態系を支えている。
そのことを多くの人は知らない。
男とは同じもので、今いる場所と周囲に感謝してこそなんぼのもんではないか。
人生いたるところ青山あり、住んでいるその場、与えられた仕事が自分の世界かもしれない。
タイにいると、たまーに自己承認欲求のかたまりみたいなオヤジを見るが、
「お前も俺もしょせんは蛾なのだ。」
と教えてやりたくなる。
一時期もてはやされたとしても、時代が過ぎ去ってしまえば、尾羽打ち枯らして風に死骸を晒されるだけだ。
一方で、どんな男にも、人生で一瞬だけ輝く時期がある。
電球の最後のように、パッと輝く一瞬がある。
自分からではなくて、周囲から望まれてそんな時期が来るのであるが、男は普段地味であっても、そんな時に一瞬輝けばよいと自分は思う。
望むと望まざるとに関わらず、そんな一瞬がやってくる。
その時のためだけに、男とはもしかしたら人生の大半を過ごしているのかもしれない。
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