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2021年08月03日06:47

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死に方はじめ

子供の頃、義父に毎日殴られていた頃、

「俺は大人になれずいつか死ぬだろう。」

となんの感慨もなくごく自然に思っていた。

おっさんの年になって、周囲でコロコロ死んでいく人が出始めた今、人が安全に歳をとると言うことは、実はほんとに恵まれたことなんだな、と、今更にして思う。

子供の頃の無常感が、今再び頭をもたげている。

誰しもが歳をとると身体に不自由が出始め、病にかかるようになるが、逆に言うと、人間の身体とは消耗品であり、自然界であるならば、人間五十年と言う通り、五十年も生きれば天寿を全うした幸せな生き物なのかもしれない。

物理的に人間という種は、50年という歳月を超えて生きられるようになっていないのではないか。老眼という症状がいい例だ。

であれば

40過ぎればあとは余生と腹を括り、進んで損を取るという生き方こそが、幸せに生きるコツかも。

しかし人間は誰しも、自分だけは特別、そう思いたい生き物である。

今日明日死ぬとは誰も思っていない。

酒飲める人は酒飲んで、女が好きな人は女抱いて、バクチ好きな人は気の合う仲間とチンチロしたりして。

でもどこかで、死は必ず忍び寄ってきている。自分が気づかないだけで。

腹をくくっておくべきなのだ。

死は自分で思っているほどウェットなものではない。

死といつも向き合って坊主のような心境になる必要はないけれども、自分だっていつ死ぬかわからない。そういう少しの無常感くらいは持っておくべきなのだ。

歳を取れば、誰が仕事を引き継ぐか、死体をどうするか、財産をどう分けるか、家族がいたら何を言い残すか、責任があった人ほど、そういう問題が出てくる。

色々な死に方をする人たちを見てきて、理想の人もいれば、ああはなりたくないな、そう思わせる人もいる。

葬式代も遺産を残さず、周囲の人に最後まで迷惑をかけまくる老人何人も見てきたが、そういう人物こそ、生前偉そうなことを言っていた。

ほんと、ダメなやつは最後までダメなやつなんだよ。

死に方ぐらいで生前の一生が台無しになる。
死にはセンチメンタリズムなど一才必要ない。
死に方も、またその人の、人となりだからだ。

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