このGW、なるべく人と関わらない車上生活を相変わらず続けている。
利用するのは生活上最低限のスーパー、食堂、銭湯で、それらもなるべく人のいない場所と時間を見計らって出入りするようにしている。
車上生活は自分にとってまったく痛痒を感じない。
強いて感じるとしたらトイレの問題なのだが、そういうときはコンビニでジュースなどを買って利用させてもらうようにしている。
あとはワゴンのシートをフルフラットにしてネトフリだのYouTubeだのを見て楽しんでいる。
川縁で窓を開け放せば菜の花畑が見えたりして、この5月は最高だ。
なお車上生活をするにあたり、一つだけこだわった部分がある。
自分の車のシートは元々モケットシートだったのだが、モケットは毛足があるぶん、長時間の睡眠をとるとどうしても汗がついたりして不快だし、何よりも汚くなる。
だからこの部分だけは贅沢してPVC製のシートカバーを導入した。
商品名クラッツィオというものだ。
これがあればずいぶん助かる。
アルコールスプレーを吹き付けて除菌しやすいし、何よりジュースや弁当の汁を垂らしても拭けばすぐとれるのだ。
自分のように貧乏車中泊を続けるものにとってこのPVC製のシートは最上だ。
こういう生活を最近、道の駅やら川辺で続けているのだが、楽しいことのひとつに田舎では土地の老人に話しかけられることが多いこと。
不審者に見られることもあるのだが、幸いにして自分の場合、土地のおばあちゃんから話しかけられることが多い。
人に歴史あり
ついつい長話していると、土地のおばあちゃんの嫁入り当時の話から今日までの話を聞くことができる。
ついこの前、埼玉の加須という町で暇を持て余していたとき、とある公園のうどん屋さんの前で、土地のおばあちゃんから声をかけられた。
「・・メダカを買いにきたんだけれど、もう3時でお店が閉まるのよねえ・・・。」
どうやらそのおばあちゃん、その公園にあるうどん屋のうどんと、そのうどん屋の前にある巨大水槽のメダカ販売目当てに来たようだ。
うどんが食べられ、しかもメダカまで買えるとは、不思議な公園である。
(わかる人には公園名が特定されると思うが)
しかしあいにく店が閉まっていて、その店の前のベンチでジュースを飲みながらのほほんとしていた自分にそのおばあちゃんは声をかけてきたらしい。
田舎にいると、こういう人なつこいおばあちゃんはどこにでもいる。
また彼女たちは土地の情報宝庫でもあるので、自分は彼女たちの話を聞くことが楽しい。
「・・・この土地はね、昔からうどんのおいしいところなの。天皇陛下も昔うどんを食べにこられたんですよ。」
弾む話から、そういうことも教えてもらえた。
「・・・そうなのか、加須ってそういう所なんだなあ。」
そのおばあちゃんと別れて自分はそのうどんなりそばなりを食べてみたいと思った。
車に戻り、窓を開け放して外を見ていると、4月の爽やかな風が車内を通りぬけ、外には菜の花、そして菜の花に群がるモンシロチョウたちが躍っている。
車のエンジンをかけて、適当に流して、そこらへんのうどん屋に止まろうと思った。
ちょうど道すがら、水車のある古風なうどん屋をみつけたので、そこの駐車場に入ってみた。
すごくレトロな古めかしい店だった。
昔自分がまだ幼かった頃、こんな店はどこにでもあったが、未だに埼玉の田舎にはこんな店が残っている。
暖簾をくぐろうと、店の前まで来たが、あいにく準備中とのことで、がっかりしてしまった。
車まで戻り、
「・・無計画に車を走らせた俺が悪い。・・ガソリンと時間の無駄だなあ。」
と反省して、iPadのグーグル先生を頼ることにした。
そんな刹那、車の助手席の窓から声がする。
「・・・おそばですか?まだ釜を落としていませんから・・今なら食べられますよ・・!」
割烹着を着た、女将さんらしきおばあちゃんから声をかけられた。
昼三時はもう回っている、店によってはまたお客のくる時間帯まで中休みをとる店も多い。
助手席のウインドウを下げた
「・・ああ、でも・・ご迷惑ではないですか?また機会があれば来ますので、大丈夫ですよ。」
自分がそういうと、女将さんは
「・・・だいじょうぶ、だいじょうぶ、釜を落としちゃうともう食べられなくなっちゃう。どうぞお入りください。」
自分はその女将さんの好意に恐縮しながら、暖簾が店内にしまわれていた門をくぐった。
親切な女将さんである。都内のチェーン店ではこうはいかない。
店に入って改めて驚いた。
外観もさることながら、中身もそうとうレトロなお店だった。
スギの板1枚をぜいたくに使った机、手書きのメニュー、厨房のカウンターに置かれた土地の新聞紙・・・。
何もかもが幼い頃に見た昭和だった。
これでTVがぼやっと写り、「帰ってきたウルトラマン」が見られれば、ほんとうにそのままだ。
とうぜんのごとく、店内に客は自分しかいない。
「・・何を頼もうかな」
メニューを見て悩んだのだが、本来貧乏性の自分はそば一杯で帰るつもりだった。
しかし、自分1人のために店を開け直してくれた女将さんの心意気に、そば一杯では失礼だと思い、店の看板メニューらしき
”天丼とざるそばセット”
を頼んだ。
自分の夕食としては予算オーバーの千円を若干超えてしまうが、このさいしょうがない。
自分がそれを頼むと、女将さんはいろいろその店の自慢話をしてくれた
原材料のそばは北海道から仕入れているということ、店で出す野菜やつけものは、彼女の夫が畠作業で手づから作っていると言うこと・・
「・・これ飲んでみて。」
彼女から差し出されたそば湯も飲んでみたが、これもおいしかった。
ほのかなそばの香りと、天然のそよかな甘みが口中を覆った。
「・・・おいしいですね。」
そういうと彼女は満面の笑みを浮かべて、いろいろなことをお話ししてくれた。
厨房に、畑作業に出かけようとした彼女の夫らしきおじいさんが戻っていて、背中でそばと天丼を仕込んでいた。
その背中はまるで
「・・・うちの嬶(かかあ)の話し好きがまたはじまりやがった。」
と言っているようで、彼女の話もさることながら、そのご主人の背中が面白かった。
話はそばと天丼が出てくるまで続いた。
彼女の嫁入りの話から、原材料の北海道の話、彼女が独自の梅酢を作って、その梅酢が彼女の友人の大病を救った話・・・。
そんな話が数十分続いた頃、天丼と件のそば(ざるそば)が出てきた。
本当の目的は加須の自慢であるらしいうどんを食べたかったのだけれど、この店の推しである手打ちのそばをたべないわけにはいかない。
「・・・ズズズ・・・」
食べてみるとほんとうに美味しかった。
まるでうどんのような太いそば麺で、手打ちらしいその断面は一定の太さではないが、これこそが昔ながらのそばである。
つけ汁に麺をつけずに、麺だけでためしに食べてみると、これがまたほんのりと甘い香りがする。
「・・・おいしい!」
思わず声に出た。自分はインスタントの半生そばぐらいしか食べないので、これがほんとうのそばの味なんだなあと感じた。
天丼もボリュームたっぷり、米も自慢の自家製らしく、これで千円ちょっとは、かえって安いだろう。
海老も巨大なものだった。ボリボリと弾力がある。
食事を終えても、話好きの女将さんの話は続いた。
そばを作る上での苦労話、ご主人の畑作業の大変さ、そのほか女将さんの人生の話。
こちらとしてはかえって悪い気がした。たった千円ちょっとでこれだけいすわってお話しを聞いていいのだろうか。
壁をみると長年の店の歴史を物語るようなご主人と女将さん、そして毒蝮三太夫の若かりし頃の写真が掲げてある。
「・・わざわざ自分のためにお店を延長で開けさせてしまい、もうしわけありませんでした・・。」
自分は最後にそう言って店を辞した。
自分にとっては貧乏性の性格ゆえに続けている車中泊生活、こういう出会いはただ単に旅を続けていても得られないので、店を後にしてもしばらく幸せな気分でいられた。
加須には大きな利根川がある。
利根川のほとりに車をとめ、暮れゆく夕陽に犬の散歩をする母親と幼い子供を見つめながら、遠くに見える山々を見つめていた。
そのうちに自分はまたグーグーと寝てしまった
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