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2021年04月06日10:50

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『 アウトポスト 』


場の帰り、仲間と一緒に映画『 アウトポスト 』を観た。現代が舞台の戦争映画だということ以外、何の情報も得ていなかったのだが、本編がはじまってすぐに気がついた。これは『 レッドプラトーン 』を原作とした映画だ。『 レッドプラトーン 』は友人から強く勧められて読んだ戦記で、著者クリントン・ロメシャ軍曹のレッド小隊がアフガニスタン僻地の戦闘前哨(COP)キーティングに配置されてから、2009年10月3日に発生した戦闘の顛末を詳細に明かした実録である。友人が興奮して激賞していた通り、原作は予想を超える面白さだった。なんといっても、著者自身が体験し、見て聞いて感じたままを冷静な筆致で語っている点が素晴らしい。これ以上の臨場感を望むのは不可能だろう。ロメシャの戦記で特に感銘を受けたのは、将校(指揮官)と下士官の役割の違いについて、明快な説明をしていることだった。以下、本書からそのまま引用しておく。これは、ロメシャが新たに仕えることになった新任の小隊長アンドルー・バンダーマン中尉について語ったものである。

 「 たしかに、若い少尉が軍曹の意見を真剣にとり上げて、どういう根拠から出た意見なのかを理解しようとするのは、重要なことだ。だが、だからといって、彼らにやるように言われたことを、文字通りすべてやればいいというわけではない。逆に、そんなことをしたら、あっという間に失態を重ねるだろう。
 
 小隊軍曹(一等軍曹)たちは、専門的な技術については、往々にして小隊長よりも知識が深いが、戦略的な考え方をしない傾向がある。たいがいの場合、それよりも自分や分隊の兵士にとって物事が順調に進むように心がけている。だから、小隊長はつぎのようなことを理解して、自分を戒めなければならない。たとえ、相手に発言権がなくても、自分が指揮する人々の意見に耳を傾けて彼らにも発言権があると感じさせてやるのは重要だが、自分の最優先事項は部下ではなく任務なのだという事実を見失ってはならない 」


 要するに、下士官は自分たちに好都合なやり方や、自分や部下にとってリスクの少ない方法を選択しがちだが、将校は部下たちの犠牲が出ることが予想されたとしても、それが任務遂行に必要であるならば、決然と命令を下さなければならないということだ。その決断は専門的な知識や経験の有る無しではなく、あくまでも戦略的見地からなされねばならない。指揮官を失った戦闘部隊がしばしば機能不全に陥るのは、こうした大局的な判断ができる将校が不在となった時点で、兵士たちが目の前の局地的な状況への対処に終始するからだ。

 『 アウトポスト 』は素晴らしい原作を基に制作された映画だが、残念ながら原作の魅力を充分に生かしているとは言い難い。むしろ、凡庸な戦争映画であると評すべきだろう。原作が繰り返し明言する「 キーティングはあらゆる原則に反して作られた戦闘前哨で、絶対に作ってはいけないものだった 」については説明不足だし、キーティング内の兵舎や主要構造物、防衛拠点個々の配置すらきちんと描写していない。原作を読んでいるならともかく、原作未読の観客に戦闘経緯が把握できるとは到底思えないのだ。

 あの原作からどうして、こういう脚本になったのかは謎だ。キーティングの直面する数々の問題に焦点を当てる代わりに、原作に名前しか登場しないキーティング大尉(オーランド・ブルーム)のエピソードがやたら長かったり、わずか数行のイエスカス大尉のエピソードを丁寧に描いたのも不思議だ。おそらく、キーティング最後の指揮官となるポーター大尉との好対照を意図したものだったのだろう(注:ポーター大尉は戦闘の前に異動しており、実際の最後の指揮官はポーティス大尉である)。確かに、歴代指揮官の三人の大尉を描いたのは、それはそれで興味深いものがあった。しかし、どう考えても、原作で重要なのはキーティングの直面する諸問題であり、将校の中で取り上げるべきはバンダーマン中尉なのだ。キーティングは決して作ってはいけない、最も脆弱な戦闘前哨であり、配置された兵士たちは「 罠に入れられた生餌 」にも等しいものだった。彼らがいかにして、強力なタリバン部隊の奇襲に対抗したか、もし、脚本が原作のテーマをきちんと反映していれば、戦争映画史上の名作となる可能性があったはずだ。

 
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