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2021年04月01日22:54

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三輪一登画伯

 今日は3時以後時間がとれたので、三輪一登画伯の絵を観てきました。
 三輪一登画伯といっても、ほとんどの人はピンとこないことと思いますが、この人は、私が中学2年生のときの担任の先生でした。また、バスケットボール部の顧問でもありましたから、中学の間中ずっと面倒を見てもらった恩師といえます。
 といっても、この先生は、当時はまだ大学出たてで、初めてクラス担任になったのが、私が2年生になったときだったのです。でも、ある意味、自分にとっては一番勉強になった先生でした。担当科目が美術だったために時間に比較的余裕があったのか、班ノートにマメに目を通してくださったのです。で、なかなかいいコメントをしてくださるので、こちらも面白くなって、ますます書くということで、かなり楽しくやり取りできました。
 私だけでなく、クラスの仲間もみんなそうだったようで、中には、一晩で40ページも書いてくるぐらいの「つわもの」もいたほどでした。その人も、先生とのやり取りが楽しかったのだろうと思います。先生としても、大学出たてで、年齢が近かったからこそできたことかもしれません。でも、おかげで、勉強として作文を学ぶのではなく、楽しんで書きたいことを書いているうちに、自然に国語力、文章力が身に付いたように感じます。
 こう書くと、百点満点の教師みたいに見えますが、教師になりたてのころは、この先生も若気の至りというのか、本当に無茶苦茶なことをされていたようです。
 これは3年前の同窓会で初めて明かしてくれたことですが、文字通り「拾ってもらった」ことがあったようです。
 何かの学校行事で生徒の集合時刻より、早い時間帯に教師の集合時刻が設定されていたそうなのですが、その時刻になっても三輪先生が現れないので、学年主任自ら三輪先生の下宿に出向くも、そこにもおらず、どうしたものかとうろうろしていたら、朝から近くの河原で、気持ちよさそうに寝ている人がいて、それが三輪先生だったというわけです(前の晩、深酒して河原で眠り込んでしまったらしいです)。あのとき、学年主任が寝ぼけ眼の三輪先生を拾い上げて自転車で集合場所まで運んでくれたから、三輪先生は生徒たちの前にはどうにか何事もなかったかのような顔をして現れることができたものの、よくあれで教師が務まったものだと他人事のように話してました。
 バスケットボール部の顧問ではあったものの、バスケットボールはまったくの未経験で、部員たちと一緒に走っていたら、貧血で倒れて保健室に担ぎ込まれたこともありました(でも、その後、その保健室の先生と結婚されたのですが)。
 まぁ、そんな感じで、先生というより面白いアンちゃんという感じで、生徒たちは、もっぱら“三輪っち”と呼んでいたものです。
 三輪っちは、やはり自分は教師に向いていないと思ったのか、意外と早く教師は止めて、家具職人に転業したようでしたが、絵のほうは続けていて、とくに水彩画では優れた作品を描いておられます。上掲写真左は、『懐旧―齢重ねて』というタイトルの自画像(シリーズものらしい)で、何かの賞を受賞して一昨年の水彩連盟展(第79回)で展示されていました。今日観に行ったのも、その水彩連盟展(第80回)です。
 今回はなんとその連盟の会員に推挙され、会員になったそうです。これは作品のひとつが受賞するより名誉なことで、会員になること自体が至難な〇〇アカデミーの会員になるのと同じくらい難しいことなのだそうです。
 会場には、令和3年版の『懐旧―齢重ねて』(写真中央)が展示されていました。ご本人としては、孫娘を描いた『思春期』(写真右)の方を展示したかったみたいですが、会員に推挙された今回の展示では選択権はなかったようです。三輪画伯といえば『懐旧―齢重ねて』ということになってしまったものと思われます。今年の年賀状には“ミワノマスク”というマスクをした自画像も描いていたのに。
 水彩連盟展は、4月12日まで、10:00〜18:00の時間帯で国立新美術館で開催しています(4月6日は休館日。最終日は15:00まで)。
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