あれだけの災害を受けたのだ。真の復興までのプロセスにおいてこの記事化された内容は極めて自然なことに感ずる。
防潮堤の問題も含め、あれだけのダメージを受けて、人も経済も、また景観まで元通りという目標は理想ではあるが、そこに至るまでのロードマップとして一旦力を集約できる都市部に集中させるということはきわめて合理的で間違いない。
問題はある程度余裕ができた際に初めて沿岸部をどう生かしていくか考えておくということだ。
縮む沿岸部はある期間はゴーストタウンと化すことになるかもしれないが次の段階ではやがて飽和状態になった段階でここは都市部にとって新たなフロンティアとなる。
政治はその間過疎化した土地の活用や管理についてある程度の指針を示すべきだし、より現実的で現実的な基本計画を示すべきである。
何年先かは分からないが、計画に基づいた地域は実施に移るまでの投資家にとっては魅力的な投資先になりうるし、必要に応じ計画も見直せることもメリットの一つだろう。
歴史的なメンタルな部分も理解するが、いつまでもこれを悲劇の延長として問題化することは新旧住民にとって新しい一歩を阻害する要因になっていないか?
人口の移動というものをデメリットとしてとらえるのではなく前向きに見るという必要なことではなかろうか?
■縮む沿岸部、ひとり勝ちの仙台圏 浮かぶ被災地の不均衡
(朝日新聞デジタル - 03月11日 05:15)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6441467
ログインしてコメントを確認・投稿する