つい最近、ポンペイで2000年前そのままの馬車が発掘されたということで世紀の発見に湧いている。
それはそうとこのポンペイ、人の形に火山灰が積もって、その形はそれぞれの最後の姿になっている。
考古学の資料という価値以上に見ていて心が痛む。
しかしながら一方で自分がもしポンペイ最後の日にいたらどうするだろうか。
ちょっと考えてみた。
銀次郎の性格を知るフレンドのみなさんなら分かってくれると思うが、自分はシリアスな雰囲気にはいたたまれない男だ。
たぶん最後に男を飾るため、たとえばベンチに座りながら「やらないか」のポーズで絶命しているかもしれず、もしかしたら道頓堀の橋のような場所で「グリコ」のポーズで死んでいるかも知れず、教会の上で「命」のポーズをとっているかもしれない。
え?人の死をギャグにするなって?
人の死ってもともと理不尽なもので、そんなに美しいものではないですよ。
https://www.afpbb.com/articles/-/3334004
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