「何でもない」ということは
「何にも属さない」ということであり
「どの立場も取らない」ということであるから
それは
「何にでもなれる(「何か(特定の具体者)」になる「前」であるから)」
ということであり
「何にも属すことができる(未だ「何」にも「所属」していないのだから)」
ということであり
「どの立場も取り得る(未だ「どの立場」もとっていないのだから)」
ということである。
(西田幾多郎の
「絶対無」も
「絶対に無」である限り
「何にでもなれる」ということであり
それゆえ
「絶対無の場所」は
「何でも受け入れることのできる場所」
である。
何故なら
「何かを拒否し、排除する場所であるのなら
絶対有の(絶対に何らかの意志を持つ)場所
であり
絶対無の場所ではない
からである。
その意味で
「絶対無の場所」
は
「絶対に何らの意志も持たない場所」
であり
同時に
「何の意志でも持ちうる場所」
である。)
シェリングが『啓示の哲学』で明らかにした
積極哲学期のポテンツ論では、
上記のことに「加えて」
「何でもないということ」
が
「何かであることになった時に、
それでも尚
何でもないということのままである(いる)こと」
を説いている。
「存在可能者(das sein Könnende)」
が
「何でもないということ」
であると同時に
これが
「存在」へと起(た)ち上がった時に
「何か」になってしまうことを
「防ぐ」ために
シェリングは
「純粋存在者(das rein Seiende)」を
「存在可能者」の「客体」として
(「存在可能者」は「純粋存在者」の「主体」として)
措定している。
「存在可能者」を
「純粋存在者」の
「主体」とし
「純粋存在者」を
「存在可能者」の
「客体」
としているのは
Geist(精霊)
である。
この
Geist
(プシューケー、Seele の系列ではなく、ルーアッハ、プネウマの系譜)
が
「主体」としての「存在可能者」と
「客体」としての「純粋存在者」を
「存在当為者(存在すべきもの)」
としている。
「存在可能者」が
「何か」になってしまった状態を
シェリングは
「非存在当為者(存在すべきではないもの)」
と規定している。
これは
「存在当為者」の
「不可欠要素」の一つである「存在可能者」の
「逸脱(変質)」であり
総(すべ)ての「病(質料(生理)的には「病」、形相的には「悪」)」
の
「根源(原因)」
である。
「癌」も
「正常細胞(「存在可能者」)」
からの
「逸脱」
である。
「存在可能者」が
「非存在当為者」へと
「(逸脱)変質」した場合に
この「逸脱」を
「正すもの」
として
シェリングは
「純粋存在者」の
「存在必然者
(das sein Müssende
=存在しないわけにはいかないもの
=存在しなければならないもの)」化
を説く。
これは
「ポテンツを持たないもの」である「純粋存在者」
の
「ポテンツ化」
である。
この
「ポテンツ化
(非存在当為者化してしまった存在可能者を
元の存在可能者へ戻すことだけを目的とした意志と化して
非存在当為者が
存在可能者である自分に気づいて自覚することによって
非存在当為者としての自分を放棄して
非存在当為者としては消えて
存在可能者としての自分に戻り
現勢(actus)としてではなく
潜勢(potentia)としての自分に留まるようになるまで
ずっと監視し
ポテンツ化した後もずっと
存在可能者は単独での存在化=逸脱の傾向性を持ち
この傾向性を自分では消し去ることができないので
これを抑制するために必要不可欠な要素としての
純粋存在者の役割を果たすこと)」
によって
「のみ」
「逸脱者
(キリスト教の神話では
原人間(アダムとイブ)の「堕落」として描かれている)」
としての
「非存在当為者(存在すべきではないもの)」
を
元の「存在可能者」
へ
「戻す」ことができる。
この
シェリングの積極哲学期のポテンツ論で言われていることを
しっかりと踏まえて
現在の世界が
「非存在当為者化」していて
これを「存在可能者」へと「復元」し得る「唯一のポテンツ」
としての
「純粋存在者」の「存在必然者(存在しないわけにはいかないもの)化」した
「現勢(actus)」
を
「発見」して
「存在当為者(存在すべきもの)」
としての
「完成せる精霊(der vollendete Geist)」
を
実現(現生社会の病を治療)
しなければならない。
マルクス(Karl Heinrich Marx, 1818〜1883)が
描ききれなかった
「本当に来るべき社会」
を実現する
「純粋存在者」の「存在必然者」
を
特定すべきだ
(マルクスは
「それ(「純粋存在者」の「存在必然者」)」
を
「プロレタリアート(労働者階級)」
と考えた
(と言ってもマルクスは
シェリングの『啓示の哲学』を
深く読んではいないだろうが)
のだが)。
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最終更新
令和2(2020)年12月30日 午前1時06分
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