原始時代であれ階級社会であれ力を持つ者が力の無い弱い者に対して辛く当たる人間の本性は変わらないのだろうか。力を持つ者がみな人格者であれば世の中はもっと暮らしやすくなるのにその当たり前のことを人類はこれまで実現しようとしてこなかった。法律も規
単独者にとってはどこまでも具体的な自分に現れた自分にとって現実的な神仏以外はどうでも良いことである。果たしてその「態度」が神仏を体現した人の完成形であろうか。もちろん単独者として生きることは不覚よりは神仏に近い生き方かもしれないけれども喩(
人の命は自然環境と切り離して考えることはできない。社会(Gesellscjaft=利益社会のみならず Gemeinschaft=連帯社会も含めて)に拒絶された場合人は単独者(der Einzelne)と成らざるを得ない。「単独者(der Einzelne)」とはキェルケゴール(1813−1855
神仏はどこまでも人間から超越していると共にどこまでも人間に内在している。けれども内在している神仏に出会うことは社会的にも意識的にも妨害されていて簡単ではない。たとえ神仏の片鱗に触れても社会的な制約(金儲けに埋没することを強制されていて逃れら
『我と汝』はブーバー(Martin Buber:1878〜1965)の著作(1923年)。ブーバーは我々と他者との関わりを(1)「我と汝(Ich und Du)」関係 (=我々によっては対象化され得ない根源的,直接的,人格的関係)と(2)「我とそれ(Ich und Es)」関係
履歴にブランクが空(あ)くのは現実社会ではマイナスに作用するのみで、このマイナスはマイナスとして変えられない。けれどもこのマイナスの意味の中に資本主義社会の普通は誰も逃れられない強制からの「解放」という「自由」を見て取ることが出来ればこのマ
やはり三度目のブランク(哲学創造期間)は必至なのかもしれない。1度目1984年〜1992年(8年)2度目1994年〜2002年(8年)3度目2020年〜2028年(8年?)それとも2021年〜2029年(8年?)3度目のブランク(意識社会に
(1)『紀要』の特定の編集委員(一人)に依るパワー・ハラスメント問題及び 『紀要』の特定の編集委員(一人)に依る「門前払い」疑い(2)学位取得における課程博士取得が出来なくなる環境の変化(3)経歴に複数(現時点では2回)の社会的活動のブ
令和元(2019)年11月20日(水)のお昼休み時間を利用して指導教官である鈴木晶子教授と広瀬悠三准教授にこれからの博士論文の作成計画について三者面談していただいた。(もう一週間前のことだ。)そこで課程博士の審査体制が京大大学院の教育哲学で
(トップの写真は 光のダンスを妻が見たいというので 令和元=2019年9月28日(土)に大阪中之島の ABC ホールで 「EL SQUAD」を見に行ってきた時に iPhone XR で撮影したもの。)第三空白期(第一空白期は1984年〜1992年。 第二空白期は1994
空白期は自分の中では内面に沈潜して根を張る時期だからむしろ内面の成長にとって欠かせない時期なのだが社会的には空白の時期がこれまで2度あった。第1空白期(8年)1984年4月〜1992年3月。(大市大卒業から関大大学院入学まで)第2空白期(8
妻の初期大腸癌疑いで(血清抗 p53 抗体=初期の食道癌・大腸癌・乳癌を検出できる腫瘍マーカー の値が正常値(1. 30 U/mL 以下)の約5倍(6. 29 U/mL)。 代表的な癌腫瘍マーカーである CEA が 基準値(5. 0 ng/mL 以下)範囲内(0. 7 ng/mL) であると
平成15(2003)年5月23日に成立して一部即日施行され平成17(2005)年4月1日からは全面的に施行されるようになった個人情報保護法はプライバシーの保護を目的としている。個人情報が保護されなければならないのは個人情報を悪用する人がいる
令和元(2019)年6月21日(金)に京都市左京区総合庁舎の医療衛生コーナーに申請していた肝炎治療受給者証の交付が令和元(2019)年8月5日(月)に承認されたことの電話連絡が令和元(2019)年8月5日の午前中には既に京都府庁から入り(当
(写真は金澤ピアノ塾主催の演奏会後の1枚だと思う。 左が僕で、右は親戚のお姉ちゃん=亡母の亡姉の次女で、現在はピアノ教師。)1963年頃〜1965年頃まで(3〜4歳から5〜6歳頃まで) 兵庫県 芦屋市 月若町 の 金澤ピアノ塾でピアノを習う。
自分にとっての生産手段が哲学力だというのであれば生産手段を資本家に奪われて労働力を資本家に売らざるを得ない労働者と同じだ。つまり哲学力は労働力と同じで人間の能力に過ぎない。生産手段とは例えば会社組織や学校法人など具体的存在であって労働力や哲
自閉完成界の超越性。自分の世界は独特で自立していて外の世界とは無関係だった。分かり合えると思っていたが60年生きてきて分かり合えないということに今ごろ気づいた。(出典:https://www.youtube.com/watch?v=AFyrrCXKKxQ)荒井由実が「ひこうき雲」の
令和元(2019)年6月3日(月)妻に付いて来てもらって(それは妻にも院内の雰囲気を見て欲しかったから)あおき内科・消化器内科クリニック(京都市 左京区 修学院)で腹部エコー検査と血液採取した。(午前中)青木 信裕(あおき のぶひろ)院長の診断
C 型肝炎ウイルスが発見されたのが1989年だから今年(2019年)で30年。この間に西洋医学におけるC 型肝炎の治療法は劇的に進化して今年(2019年)の2月26日(母が亡くなった翌日)に発売されたエプクル−サ(ソホスビル+ベルパタスビル)で
昨日(令和元年=2019年6月2日)は母の百箇日忌(ひゃっか にち き)を行なった。(妹と妻と私の3人だけで だけれども)百箇日忌は卒哭忌(そっこくき)とも呼ばれ亡くなった人のことで嘆く時期から卒業して新たな人生を開始する切っ掛けの節目として
平成31(2019)年2月24日(日) 母を見舞いに妹の長男が薬師山病院へ来て 母のために練習してきた3曲を 薬師山病院のホールに設置してあったグランドピアノで弾く。 3曲は 1. 小瀬村 晶 Light Dance(2008年
令和元(2019)年5月17日上京年金事務所で国民年金を60歳0ヶ月まで全部繰り上げて受給申請し手続きを完了しました。いろいろなデメリットはありますが65歳まで待って受給する場合の方が有利になるのは令和18(2036)年2月からでそれは自分
今、出先で iPhone XR からの書き込みなので、あまり多くの文字は書けないけど、明朝体の「令」と「へ」と「、」と「マ」から成る教科書体の「れい」の「どちらも正しい」ことは解ったんだけど、菅官房長官が出した毛筆の「れい」は明朝体でも教科書体でもな
以下の記述の出典はこちらです。梅花(うめのはな)の歌三十二首并せて序天平二年正月十三日に、師(そち)の老(おきな)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(ひら)く。時に、初春(しよしゆん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら
母を失い子供の居ない我々は夫婦二人きりになってしまった。ただ私には私の頭の中で生きて産み出され続けるイメージが常に在って私はこれまでずっとそのイメージに随(したが)って生きてきた。父が居る時には父の意向を無視するわけにはいかなかった。(その
母が亡くなる前日に母のために甥がグランドピアノで3曲演奏してくれたことを契機に4歳くらいの頃に芦屋でピアノを習っていた記憶が蘇り母のために大阪の家を処分する時に一緒に処分せざるを得なかったピアノの代わりにRoland FP-10 を買ってSharp 1-Bit Dig
命だけが尊いのではない。死も命と同じだけ尊い筈だ。なぜならどちらも自然なことだから。生きられる可能性がある間は生きる努力をすればいい。けれども生きれないことが判ったならそしてそれが自然なことならば死を受け止められなければならない。死を受け止
私の甥(私の妹の長男)が母が亡くなる前日(2019年2月24日)に母のために練習してきた3曲を薬師山病院のホール(A 棟2階)に常設してあるグランドピアノで弾(ひ)いてくれたんだけれども母はすでに(ベッドごとホールまで移動することも可能なのだ
薬師山病院の主治医の診断によれば2019年2月25日22時04分母は死亡した。 (2019年2月25日午後9時頃、妹から「母の呼吸がおかしい」 との電話連絡が入り、薬師山病院へ自転車で駆けつけたところ。 この後、私が足をさすってい
1万字を越えたので「その1」の2019年分を新たに日記にしました。2019年1月3日(木)母と一緒にお風呂に入る。 イズミヤ高野店で購入した40cm 高の風呂イスを初めて使う。1月7日(月)渡辺西賀茂診療所の 小原 章夫