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2020年12月27日15:49

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万葉集

古代史などがかかれた書物に万葉集のなかの歌などが紹介されたり引用されたりしてることがあるが、私はいままで万葉集についての本や万葉集を読んだことはなかった。
万葉集について以前から気になっていることがあり、いろいろ調べてみたがどうもよくわからない。
少し前に調布へ買い物に行ったついでに本屋へ立ち寄り万葉集の本を買ってきた。本屋で探していると「万葉集」という2冊組の本があったのでよく内容を見もせず”これこれ”と思って買ってきてしまった。文庫本だけど上下2冊で2800円もした。
家に帰って読み始めてみるとなんと原文集だった。万葉集すべての歌が万葉仮名の原文で書かれたものだ。

万葉仮名とは古代の日本においてまだ文字がなかったころ、中国から漢字が入ってきたが漢文はそのままでは日本語を表すことができないので漢字1文字を日本語1音に充てた形が作られた。
すくなくとも5世紀ごろにはそのような使われ方がしたらしい。埼玉県の稲荷山古墳から出土した鉄剣に「獲加多支鹵(わかたける)大王」などの文字が刻まれている。
古事記や日本書紀にも万葉仮名は使われており、古事記は漢文と万葉仮名が半々になっている。日本書紀は全文が漢文(中国語)になっているが、歌などの紹介や注釈は万葉仮名となっている。


買ってきた本はすべての歌が万葉仮名の原文で書かれていてふりがなが付けられれている。
しかしふりがなをよんでも歌の意味が分からない。やはり読み下し文でないと歌の内容がわからない。
万葉集については平安の昔から読み下しや解説の書物がたくさん出ている。現代においてもいろんな研究者の読み下し本や解説本が出ている。
そこで先日やはり買い物ついでに本屋へ寄り読み下し本を買ってきた。文庫本で上中下の3冊組で4200円だった。(折口信夫 口訳万葉集)
結局5冊で7000円もかかってしまった。とても文庫本の値段とは思えない。
写真はその5冊。

万葉集は全部で20巻あり4600首以上が収録されている。
巻1の先頭の歌は雄略天皇の歌とされいる。また巻20の最後の歌は大伴家持(おおとものやかもち)の歌となっている。これらの歌は教科書などにも載っているので知っている人も多いだろう。
下記はそれらの読み下し文と原文である。

雄略天皇の歌(1:1)
 籠(こ)もよ み籠持(こも)ち 掘串(ふくし)もよ み掘串持(ぶくしも)ち この岳(おか)に 菜摘(なつ)ます兒(こ) 家聞(いえき)かな 告(の)らさね そらみつ大和(やまと)の国(くに)は おしなべて我(われ)こそ居(お)れ しきなべて 我(われ)こそ座(ま)せ 我(われ)にこそは告(の)らめ 家(いえ)をも名(な)をも
原文(万葉仮名)
 籠毛與 美籠母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑名 告紗根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師吉名倍手 吾己曽座 我許背齒 告目 家呼毛名雄母

大伴家持の歌(20:4616)
 新(あらた)しき年の始めの初春のけふ降る雪のいや重(し)け吉言(よごと)
原文(万葉仮名)
新年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家其騰

万葉集には上は天皇から下は最下層の農民や防人の歌が全部で4616首、何の制約もなく収録されている。
以前から気になっていたことは、中にたくさんの”詠み人知らず”や”防人”の歌が収録されていることである。
”詠み人知らず”は低下層の人々の歌といわれている。(調べてみると必ずしもそうとばかりではなく時の政権に名前を知られては困る人も含まれているらしい。)
”防人”は西国(九州)の防備に駆り出されていった人々が家族との別れを悲しんだり、遠く九州から妻子を思ったりして詠んだ歌だ。
”詠み人知らず”の歌にこんなのがある。
 (14:3373)
  玉川(多摩川)に さらす調布(手作り) さらさらに 何そこの児の ここだかなしき
 意味:多摩川にさらさらとさらす手づくりの布のようにさらにさらにどうしてこの娘がこんなにかわいく愛しいのだろうか。
 
原文(万葉仮名)
 多麻河泊爾 左良須弖豆久利 左良左良爾 奈仁曽許能児能 己許太可奈之伎

歌碑が狛江市の多摩川沿いにある。
狛江や調布では昔多摩川の水にさらした布を年貢として納めていたそうだ。

当時低下層の人々が文字を知っていたとは到底思えないし、まして貴族のような歌の心得があったとも思えない。
どうして最下層の農民たちの歌が多く収録されているのだろうか。NHKの万葉集の番組を見たりいろいろ調べてみたがどうもよくわからない。

私のかってな解釈だが、当時朝廷のなかに歌を集める部署があって、大伴家持などがその収集の責任者だったのではないかと思われる。
その部署の者が全国から集めた歌を大伴家持などが取捨選択して収集したのではないか。
万葉集は全部で4616首だが集められたのはそれよりはるかに多くの歌があったと思われる。
最下層の人々が歌うのをその部署の者たちが文字化して集めたのではないか。
最下層の人々の歌はたとえば掛け合いや言い伝えなどを七五調のような節をつけているといつまでも残る。
いわゆる”語り部”といわれる人がそういう役割ではなかったか。
現在でも神楽、神吉詞、祝詞、歌垣、連歌などが残っている。
我々でも昔覚えた歌などは何年たってもすらすらと出てくる。
古事記の序説に”稗田阿礼に習い覚えさせて太安万侶が書き記した”とあるのもそうだし、古事記にも日本書紀にも歌はたくさん出てくる。
昔中国の少数民族の掛け合いを収録したものを読んだことがあったがそれらも文字のないころの伝承だろう。

話はちがうがブラームスはジプシーの音楽を採譜してそれを基にハンガリア舞曲を作った。(私の好きな曲である。)ジプシーに楽譜はなくとも音楽はある。これもおなじような事だろう。

思わぬことで万葉集の資料を購入したが、これからしばらくは万葉の世界にどっぷりと浸ろう。


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