自分は高校時代、手がつけられないくらいひねくれものだった。
人もあまり信用していなかった。
理由はただ腹が減っていたのと、寂しかった、それだけ。
定時制高校通ってたんだけれど、バイトしても焼け石に水。
毎日毎日腹が減ってしかたがなかった。
ある日、アパートの風呂に入ろうとしたときのこと、熱湯の中に右足を滑らせてしまって、卵の薄皮のように足の皮がはがれ、にちもさっちもいかなくなった。
膨れ上がった足は、靴に入らない。いや、その前に痛くて履けない。
それでガソリンスタンドのバイトにいけなくなって、クビになった。
あの時、クビを言い渡されて、深夜学校から帰るとき、夜のネオンや、走り去る車のテールライトが滲んで見えてしまった。
「・・これから生きていたって、なにかいいことあるのか。」
すべてを壊しても、また作り直せる人生じゃない。
不良となって、バイクを乗り回す友人もいたが、それはまだ余裕があるほうだ。
16歳前後で1人生きて、バイクを買って、免許がとれるのは、まだ親という庇護があるからだ。世間が守ってくれているからだ。
それに対して自分は、ちっぽけな月3万円のアパートと一匹の猫と、錆びたママチャリ、それが財産全てだった。
そんな貧乏さと腹が減ることで、どんどん人間が卑屈になっていった。
今から考えると、それから様々な出会いがあって、世間はそんなに冷たいものではないと、当時の自分に言えるのだが、そんなことは当時の銀次郎が知るよしもない。
若いと言うことは選択肢が見えないことだとつくづく思う。
だからというわけじゃないんだけれど、タイの若者やいわゆる不良少年からの相談には、進んでのってやろうと思っている。
まあスラム行っているから実際相談事は多いんだけれど。
自分はときたま、彼らいうことを、魂を割るがごとく共感できる。
夜の冷たさ、1人で起きる朝のつらさ、正月家族といられないつらさ、すべてわかる。
思いたいんだよね
自分は親の性欲だけで生まれた人間ではないと。
彼らと接することで肝心なことは、連絡のできる距離にいてやること。
今この歳になって、そういうことを肌で感じられる人間になれたことは、あの時の経験は無駄じゃなかったってことだろう。
独りよがりかもしれないが、そう思っている。
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