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2020年11月13日12:47

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あの頃があると思えば

自分は高校時代、手がつけられないくらいひねくれものだった。
人もあまり信用していなかった。
理由はただ腹が減っていたのと、寂しかった、それだけ。

定時制高校通ってたんだけれど、バイトしても焼け石に水。
毎日毎日腹が減ってしかたがなかった。

ある日、アパートの風呂に入ろうとしたときのこと、熱湯の中に右足を滑らせてしまって、卵の薄皮のように足の皮がはがれ、にちもさっちもいかなくなった。

膨れ上がった足は、靴に入らない。いや、その前に痛くて履けない。

それでガソリンスタンドのバイトにいけなくなって、クビになった。

あの時、クビを言い渡されて、深夜学校から帰るとき、夜のネオンや、走り去る車のテールライトが滲んで見えてしまった。

「・・これから生きていたって、なにかいいことあるのか。」

すべてを壊しても、また作り直せる人生じゃない。

不良となって、バイクを乗り回す友人もいたが、それはまだ余裕があるほうだ。

16歳前後で1人生きて、バイクを買って、免許がとれるのは、まだ親という庇護があるからだ。世間が守ってくれているからだ。

それに対して自分は、ちっぽけな月3万円のアパートと一匹の猫と、錆びたママチャリ、それが財産全てだった。

そんな貧乏さと腹が減ることで、どんどん人間が卑屈になっていった。

今から考えると、それから様々な出会いがあって、世間はそんなに冷たいものではないと、当時の自分に言えるのだが、そんなことは当時の銀次郎が知るよしもない。

若いと言うことは選択肢が見えないことだとつくづく思う。

だからというわけじゃないんだけれど、タイの若者やいわゆる不良少年からの相談には、進んでのってやろうと思っている。

まあスラム行っているから実際相談事は多いんだけれど。

自分はときたま、彼らいうことを、魂を割るがごとく共感できる。

夜の冷たさ、1人で起きる朝のつらさ、正月家族といられないつらさ、すべてわかる。

思いたいんだよね

自分は親の性欲だけで生まれた人間ではないと。

彼らと接することで肝心なことは、連絡のできる距離にいてやること。

今この歳になって、そういうことを肌で感じられる人間になれたことは、あの時の経験は無駄じゃなかったってことだろう。

独りよがりかもしれないが、そう思っている。
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