西側メディアが「欧州最後の独裁者」と呼ぶベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコの独裁体制が揺れている。
◎日本人のほとんど知らない国
9日の大統領選挙で、大規模な不正選挙の結果、ルカシェンコは得票率約8割で6選を決めたが(写真)、直後に国内で大規模な不正選挙糾弾デモが起こり、選挙後の3日間で6000人もが拘束されたと伝えられる。また在ベラルーシの20代日本人男性も拘束されている。
だが治安部隊の弾圧下でも抗議デモ・集会は広がる一方だ。
ベラルーシは、かつてソ連の構成共和国の1つだったが、1991年のソ連崩壊に伴って独立した。ロシア共和国、ウクライナ共和国に次ぐ3番目の実力を持つ共和国で、東側はロシアと西側はリトアニア、ラトビア、そしてポーランドと国境を接する。
内陸国だけに、日本との縁は薄い(拘束された日本人がいたのは、僕には驚きだ)。僕も、隣国のリトアニア、ラトビア、ポーランドには行ったことがあるが、ベラルーシには関心は乏しく、注意を引くと言えば、やはり「欧州最後の独裁者」ルカシェンコの統治する国、ということしかなかった(写真=首都ミンスクの国際空港の到着案内板。武漢肺炎以前でも飛行機便は、これしかない)。実際、本日記で僕はベラルーシとルカシェンコについて初めて取り上げる。
◎ほぼ独立以来、1人で統治
ルカシェンコの統治は、長い。中東やアフリカにはルカシェンコ並みの独裁者の長期統治の国があるが、ヨーロッパではベラルーシだけで、あの強権ロシアのプーチンさえしのぐ。ソ連からの独立の3年後の1994年に大統領に初当選して以来、26年間も最高位に君臨する。
内陸国だけに経済発展に貿易に依存できず、また国内の資源も乏しい。したがってベラルーシが生き残り、発展して行くには、(民主化された場合の)ロシアとの国家統合しかない、と思われていた。
実際、1999年12月8日にエリツィンのロシアと連合国家創設条約を結んで、翌2000年1月に「連合国家」を創設した。
とこが条約直後にロシアのエリツィン大統領は辞任、(当時は)海のものとも山のものとも分からないプーチンが登場した。
◎ロシアとの「連合国家」は名目だけ
おそらくルカシェンコの胸の内は、大国だが混乱の続くロシアを連合国家の名の下、小国の自国ベラルーシが牛耳るということだったのだろう。ところがプーチンは、意外に大化けし、大国ロシアの独裁的強権指導者に君臨するまでになった。
これではベラルーシは、ロシアの属国になるしかない。
したがって連合国家は名目だけのものになった。
◎低迷する経済、選挙は大規模な不正
ルカシェンコの長期独裁支配下で、ベラルーシの経済は低迷した。IMFの調べでは、2019年までの5年間の実質GDP成長率は平均でたった0.1%、である。武漢肺炎の影響を受けた今年は、マイナス6%と落ち込む見通しだ。
それなのに、何の展望もなく、大統領選挙には6選に挑んだ。選挙前の支持率は、たった数%という数字もあった。民主的で公正な選挙が行われれば、ルカシェンコの落選は確実だった。
したがって有力野党候補を次々と逮捕したり、立候補禁止したりした。自身の夫も逮捕された無名のスベトラーナ・ティハノフスカヤ氏(写真)が唯一の有力対抗馬として立った。結果は、票のすり替えなど大規模な不正で得票率10%ちょっとに抑え込まれたが、実際ははるかに多かったとみられる。
危機感を抱いたルカシェンコは、逮捕で脅してティハノフスカヤ氏を隣国リトアニアに追放した。
◎プーチンのロシア、軍事介入の構え
自らの運命を決められないベラルーシ国民が怒り、首都ミンスクでは16日、20万人を超える市民が抗議で街頭を埋めた(写真)。
その中、ルカシェンコは17日、唐突に「新憲法を国民投票で採択した後に権限を引き渡す」と辞任を示唆する発言を行った。おそらく怒る国民をなだめる目くらまし策だろう。
実際は、ロシアのプーチンの助けで、危機を乗り越えようとしていると見られる。15、16日の両日、ルカシェンコはプーチンと電話会談をし、支援を求めた。
プーチンも「必要な助力をする」と明言している。
両国は、互いの国の安全が損なわれれば軍事介入するという安保条約を結んでいる。
1956年のソ連のハンガリー軍事侵攻、1968年のソ連のチェコスロバキア軍事侵攻の歴史を思い出させる。2度の軍事侵攻で、多数の犠牲者と西側への大量の亡命が出た。
それだけにベラルーシ市民の闘いは、平穏ではない。苦闘の行方が注目される。
注 容量制限をオーバーしているため、読者の皆様方にまことに申し訳ありませんが、本日記に写真を掲載できません。
写真をご覧になりたい方は、お手数ですが、
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