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2020年06月26日11:19

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地獄へみちづれ

僕が少年サッカー〜草サッカーに勤しんでいたのは
40年前から20年ほど前までの約20年間で
その頃は、愛読していたサッカー雑誌でしか海外サッカーの情報が無く
テレビで観戦できる海外のチームの試合は
「ダイヤモンドサッカー」と「トヨタカップ」、
それに四年に一度の「ワールドカップ」くらいしかなかった

それだけでも、日本の最高峰と言われていた日本リーグや
日本代表の試合と海外のチームとは、こう次元が違うというか
別のスポーツ位の隔たりがあると感じていたので
国内でサッカー選手になろうとは微塵も思わなかったし
プロになるなら海外で通用できるプレイヤーに!と
幼いころから思っていた。

フィジカル的な部分と、根本的な技術の部分に於て
日本と世界では差があったわけで、
それまでに「通用した」と言われていたのは
メキシコ五輪(1968)の銅メダルとか
奥寺康彦のブンデスリーガでの活躍とか
部分的なものであったと記憶している

35年位前は、
まだプレミアリーグではなくイングランドリーグの頃、
リバプールは滅法強く、トヨタカップに再三出場していた
「トヨタカップ」というのは
現在の「FIFAクラブワールドカップ」の前身の一つである
「インターコンチネンタルカップ」の通称である
元々、欧州王者と南米王者のホーム&アウェーで行われていたのだが
騒擾事件が発生して、中立国の日本で1発試合で決着と
いう形になったのである

「ということは、日本のチームに居たら絶対に世界一のチームにはなれないという事か」

と幼い僕でも即時にそう考えたのはそういう理由からである。
そして当時、最初に注目していたのが
イアン・ラッシュというウェールズ出身の選手で
リヴァプールの所属だった。
突破力、という点においては
当時の欧州サッカー全体に蔓延していた「放り込み」スタイルにはマッチしていて
ディフェンスラインの裏への走り込みややカウンター攻撃では
滅法強みを見せていた選手である。
スピードタイプのゴールハンターであった。
のちにファンになるJPP、ジャン・ピエール・パパン(仏)にも通じている魅力があった

その彼が、トヨタカップで来日して試合出場するというので
とても楽しみにしていたのだが、
既にチャンピオンズカップでエネルギーを使い果たしていたのか
はたまた南米スタイルのサッカーに潰されてしまったのか
ろくに活躍もせず失望させられることになった。
ただ、彼の活躍でかなり長い間リバプールは黄金期を形成していたという事で
サッカー史に名を刻むに値する選手の一人ではあったと
個人的には思う。

当分続くであろう
Queen
本日は
Another One Bites The Dust
邦題は「地獄に道づれ」
本人たちは知らんのやろな、とは思う。


リヴァプールが30年ぶり1部リーグ制覇!プレミアでは初 マンC敗れ、7試合残して決定
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=138&from=diary&id=6134439

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