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2020年04月25日05:58

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日本最初の欧米書『ターヘル・アナトミア』を翻訳出版した蘭方医たちの光と影(1):オランダ語学力ゼロで翻訳目指す

 教科書か何かの偉人伝に載っていたのか定かではないが、前野良沢(下の写真の上)と杉田玄白(下の写真の下)らがオランダの解剖学書『ターヘル・アナトミア』を良沢宅に集まって翻訳に取りかかったエピソードを、子供の頃に読んだことがあり、そのことをよく覚えている。

◎杉田玄白が前野良沢に刑死人の腑分け見学を誘う
 苦心の末に出来上がったのが『解体新書』で、我が国最初の翻訳書である。これは有名な話だが、完成までは筆舌に尽くしがたいほどの難行であった。
 そもそも翻訳にとりかかろうというのに、ほとんどオランダ語が理解できなかったのである。それで翻訳しようと思い立ち、始めたのは、思えば向こう見ずもいいところだが、それほど『ターヘル・アナトミア』(写真)の衝撃が大きかったということでもあるだろう。
 発端は、中津藩藩医の蘭方医の前野良沢に、さほど親しくはなかったが、小浜藩藩医の蘭方医杉田玄白から刑死人の腑分け(解剖)があるので観に来られたら、という誘いがあったことだ。それは、腑分けの行われる明和8(1771)年3月4日の前日だった。

◎良沢、読めないながらも高価な蘭書『ターヘル・アナトミア』を購入
 良沢は、その前々年に藩の援助でオランダ語学習のために長崎に遊学し、そこで通詞(オランダ商館員と幕府役人との間の通訳役人)からオランダ商館員の持つ『ターヘル・アナトミア』を仲介され、高価だったが何とか工面して手に入れていた。
 ところがオランダ語学習のために長崎遊学しても、やっと数百の単語を習得できただけだった。通詞のトップからオランダ語の習得は困難だと諫められていたとおりだった。読めないながらも、『ターヘル・アナトミア』の解剖図が、従来からの漢方の人体図とかなり異なっていることに関心を抱いていた。そこに、玄白からの誘いの書簡が届いた。

◎『ターヘル・アナトミア』の正確さに衝撃
 腑分けの行われる当日、小塚原刑場(現在の荒川区南千住:写真=刑場跡)に赴くと、後輩の同じ小浜藩医の中川淳庵も一緒で、何と玄白も同じ『ターヘル・アナトミア』を持参してきていた。なお玄白も、一時、オランダ語習得を志したが、江戸に来ていた長崎の通詞から学習の困難さを指摘されると、はやばやと断念していた。アルファベット(ア、ベ、セ……)すら分からなかった。それでも蘭方医なので、解剖図を腑分けと対比はできる。
 そして良沢、玄白、淳庵の3人は、実際の人体が漢方の五臓六腑と全く異なり、『ターヘル・アナトミア』どおりだったことに衝撃を受ける。

◎アルファベットすらおぼつかないのに翻訳作業
 腑分けが終わって、衝撃のあまり押し黙ったまま帰路に就く3人の中で、玄白が『ターヘル・アナトミア』の翻訳を提案するのである。ア、ベ、セすら分からない玄白が、である。
 前に「向こう見ず」と言ったのは、こういうわけだ。
 もう1人、淳庵は、やっとアルファベットが分かる程度だった。習得オランダ単語が800語以上はある良沢が中心にならざるをえない。

◎最初は良沢による玄白らのオランダ語指導
 実際に良沢の家に集まると、まず手始めは良沢による他2人のアルファベット指導であった。オランダ語初歩の初歩学習が始まると、玄白は幕府奥医師を務める名家桂川家の息子の甫周を連れてきて、桂川甫周も仲間に加わった。彼は若いが、やはりオランダ語知識は、ア、ベ、セ程度だった。
 僕も、英書を何冊か翻訳したことがあるが、翻訳とは語学を知っているだけではできない。書かれた内容について深い造詣が必要で、そうでないと思わぬ誤訳を頻発することになる。しかし語学に通じていないでは、まずもってお話にならないのである。
(この項、続く)

注 容量制限をオーバーしているため、読者の皆様方にまことに申し訳ありませんが、本日記に写真を掲載できません。
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昨年の今日の日記:「ネパール紀行(9):仏教国のスリランカで大規模無差別テロ、ヒンドゥー教国のネパール」

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