mixiユーザー(id:11645280)

2020年02月12日08:16

31 view

落語と歳時記

「徳川幕府開始の日」です。。。。江戸時代に 神田山を崩し江戸湾を埋めて町が出来ました。

深川には木場・水運で物流を運んだ。深川の霊岸寺には松平定信のお墓があります。

落語のネタ。。。「辰巳の辻占」

今日は初午です。
落語「鹿政談などのマクラに「江戸の名物・・・伊勢屋、稲荷に犬の糞」などと揶揄されるほど多くの稲荷神の祠(稲荷神社)があり、現代の東京にも、たくさんの稲荷神の祠(稲荷神社)が残っているのです。
 「王子」「袖擦」「三廻り」「九郎助」などは、いずれも、江戸で有名な稲荷神社で

王子稲荷は、落語「王子の狐」、「王子の幇間」などの舞台となる王子、東京都北区岸町1-12-26にあり、創建は平安時代以前と言われる古刹。徳川家康が王子稲荷、王子権現、両社の別当であった金輪寺に宥養上人を招いて以降、江戸北域の代表的稲荷神。毎年、大晦日に関東一円の狐が、狐火を伴い、王子稲荷にある装束榎に集まるという伝説は有名で、歌川広重が江戸名所百景に「王子装束ゑの木大晦日の狐火」として描いています。

袖摺稲荷は、源頼朝が伊豆に蟄居していた際に稲荷の神体を彫刻して建立、その後北條早雲が小田原へ遷座、小田原落城後に小西半右衛門が隅田へ奉遷、徳川家綱が現在地へ遷座したと言われる古刹で、東京都台東区浅草5-48-9に現存。

 落語「野ざらし」で、隠居が釣り糸を垂れていたと言う三囲(みめぐり)=現・東京都墨田区向島2-5-17に現存するのが三囲神社。元、田中稲荷と称して、創立年代は不詳です。近江国三井寺の僧源慶が現地に遍歴して来た時、小さな祠だったので、増築をしようと地面掘ったところ、壺が出土し、その中に、右手に宝珠を、左手にイネを持ち、白狐に跨った老爺の神像がありました。すると、白狐がどこからともなく現れ、その神像の回りを三回廻ったと言う伝承が「三囲」と言う名称の由来とされます。
 
九郎(黒)助稲荷は、江戸の吉原にあったお稲荷様です。吉原の地図については、お稲荷様の位置をくわえて再掲しますと、上図の様な感じで、吉原には五つの稲荷神がありました。この中で、花魁さんたちの信仰を一手に集めていたのが、京町二丁目の角にあった九郎助稲荷で、吉原の花魁さんたちは何か願い事があると、すぐに、この九郎助稲荷に願掛けをしました。吉原に五つある稲荷神の中でも、九郎助稲荷の創建は古く、和銅四年(711)、白狐と黒狐が 天下るのを見た「千葉九郎助」と言う方により、元吉原(現・東京都中央区人形町)の地に勧請され、廊の千束村への移転にともなって、浅草新吉原の地に勧請されました。

初午には稲荷寿司を食べます
落語ネタ「稲荷陣」「紋三郎稲荷」
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する