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2020年02月06日23:03

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仕事を振る能力

自分勝手でわがまま、と言うと、大抵は欠点の表現となりますが、組織の一員として「組織の」「勝手でわがまま」な主張を平気でできるというのは、道徳的にはどうかと(一般論では)思われるものの、組織としては都合の良い人材です。最近でこそ、組織の管理責任などと言われるようになり、多少の歯止めはかかるようになりましたが、ひと昔前はそこそこ立派な企業でも「間違ったこととは言え、きっと我が社のためを思ってやってしまったのでしょう」などと平気で言っていたものです。

管理職の場合でも、「実力もないくせになんでも人に押し付けて、なんであんな人が」と言われる人も多いようですが、実際には人にやらせるのに本人の実力は関係ないし、部下に過剰に仕事を押し付けても文句が出たときにはさらにその上の上司から注意をさせればよいのですから、慎重に仕事の分量を配分して進みが遅い上司より組織としては便利で使いやすいに違いありません。判断をさせるにはたよりないとは言え、前例主義に凝り固まった組織では(と言うか、そういう管理職を便利に使おうとするから、前例主義をとらざるを得ないのでしょう)致命的な欠点とは言えません。まあ、そういう組織を作ってきたから、企業倫理が求められたり、独創性を求められたりすると、急に評価を落とすことになるのでしょう。

恐ろしいことに、管理職になって(もしくは、大企業に入って)高給をとるようになると、自分のどんな能力が評価されてその立場にいるかがわからなくなり(と言うか、他人に仕事を押し付けるのが得意な人なだけで、それを理解するだけの能力がない人が)自分は人の上に立つだけの能力がある優れた人材なのだと勘違いして、自分の判断力を過信するようになります。どんなに無能な人でも、余計な仕事を押し付けて人の邪魔をすることはできますから、周囲はその人の機嫌を損ねて立場を悪くしないようにするので、余計にその確信は強くなり、また、その人が失敗しそうだと心配していろいろ口を出すプロジェクトは(本当はどうであれ)失敗しやすくなりますし、それで成功すれば「自分がフォローした成果」となります。

あるプロジェクトが誰のおかげで成功したか、誰がどう「しなければ」失敗しなかったかなど、後知恵の評論しかできないので、無能な管理職がどういう役割を果たしたかなど、結局は周囲の人がなんとなくで判断するしかありませんし、客観的な評価はできません。前述のような無能な上司の行動パターンも一般論としては正しくても、個別の管理職に当てはめたときに、その判断が正しいかどうかはわからないということです。とりあえずわかっているのは、そういう基準で組織や管理職を評価している私は、組織や管理職から管理職としては認められていないということだけです。まあ、所属している組織にふさわしい管理職としての判断基準を持っていないという点では、私と職場は一致しているということですね。
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