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2020年02月05日23:31

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解決の近似物

以前にも書いたことがあるので覚えている方もいらっしゃるでしょうか、A.E.ヴァン・ヴォークトの「非Aの世界」というSFを読んで、「一定以上の近似をしたものは同一である」と言う思想を知りました。非AのAはアリストテレスのAで、全てのものがあるべき姿に収束するというアリストテレス的な思想では、どんなに似せたからと言って同一になることはないと考えるので、一定以上の近似をしたものが同一であるのは「非Aの世界」と言うわけです。小説の中では、加工精度を極限まで上げて2枚のドアを作ると異なる場所がつながる、と言う非Aの技術を用いた世界が広がり、私は後にδ−ε論法と出会い、このSFを思い出しながら、0.999・・・=1を理解しました。

作者が解析学を念頭に置いてこの小説を書いたのかは知る由もありませんが、SFがその時代の最先端の学問を取り入れていることが多いというのは後から知ったことで、もちろん、A.C.クラークのように技術的な最先端もしくはその延長に関しては言わずもがなですが、哲学的な思想についても「それが真実で、それをもとに技術が発展したら・・」のような壮大な思考実験をしている作品があるのです。もちろん、後から否定された思想がもとになっている場合や、誤解されて取り込まれる場合もあるにせよ、それがフィクションの自由度と言うものでしょう。誤解された結果をもとに、全く別の思想や技術が生まれることもありますから、想像力は恐ろしいものです。

それはさておき、私は人望がないので悩み相談を受けることなどほぼ皆無ではあるものの、身近な人が悩むことはありますから、解決の方法を一緒に考えることもないわけではありません。しかしながら、どうしても話がかみ合わずに「やっぱりこいつに言っても仕方ない」と思われがちです。それは、何が問題で、どう解決したいのかを話しているときに、「こうすれば、解決したのと同じ状態になるよね」と私が言っても、相手が「でも、ちゃんと問題が解決してない」と納得しないというパターンです。確かに根本原因を解決しないとすぐに問題が再燃するようなこともあり、それで「解決にならない」と言うならわかるのですが、解決した状態になっても「問題を解決して、解決した状態が実現する」のでないとダメらしいのです。正確に言えば、問題の原因となったものを取り除きたいということで、ただ、物事には本来の性質があって、原因がそこにかかわる場合は原因を取り除くことはできず、原因はそのままでも問題を発生させない方法があれば、まさに「問題ない」はずなのに、原因を放置できないというのです。

近似したものが同一となる、とは若干異なるものの、気持ちとしてはおそらく0.999・・・=1が納得できなかった私と同じではないかと感じます。ただ、困るのは問題が起きることであって、問題の原因が存在することではない、と言う考え方は、もう少し世の中に理解されたほうが、多くの人がもっと気を楽にして生活できるようになると思います。
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