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2020年02月03日00:15

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バッシングの相対性

昨日2020/02/01の日記で障害は多数派が自分たちに合わせた視点で少数派の不都合を呼ぶ言葉であることを書きました。実際、生物の中で自分に必要な化学物質を合成できないのは「障害」としか言いようがなくても、人類に共通した欠陥であれば「必須アミノ酸21種類は食物で摂取する必要がある」などと言って障害とは呼びません。また、家族にASDやADHDがいても順応できてさえいれば神経症等の精神障害の診断は出ません。もちろん、健康と判断される正常時と比較して外的要因で問題が起きれは「病気」「けが」「後遺症」などの障害と判断されますが、バランスの悪い食生活を送ろうが、栄養失調だろうが、世の大半と比べて遜色のない状態であれば「健康」「正常」と呼ばれます。

多数派になった途端に状況が変わるものに、単なる「意見の表明」と「差別」や「バッシング」のどちらになるかの違いもあります。多くの人が「美人」と言う人に対して「自分の好みではない」と発言するのは意見の表明に過ぎなくても、醜いと蔑まれている民族の誰かに対して「自分の好みではない」と言ったら差別的発言になる可能性があります。芸能人に対しても同様で、多くの人に支持されている芸能人に「それほどのものか」と言えば意見の表明で、問題を起こした芸能人に対して同じことを言えば「バッシングに加わった」と言われるでしょう。また、あまりにも大勢が支持していることに違和感を感じて同じことを言ったとして、それを見た当人がショックを受けることだってあるでしょうけれど、それがある程度の数になり、「大勢でバッシングするなんて卑劣だ」と言われたとしても、どれだけ他に大勢同じ意見を持つ人がいるのかを発言する前に確認しなければならないということになると「そこまでしなければならないのか?」と言う気がします。

無責任にバッシング意見をリツイートするような人がたくさんいるのは問題ですが、似たような意見が多数派となることで発言した本人の意図する以上に力を持ってしまうことだってあるでしょう。先ほどは発言の前に自分と同じ意見の人がどれだけいるのかを調べろというのはやりすぎの印象があると書きましたが、実際にはネット上の発信だったりすれば自分の発言がどういう社会的位置づけになるのかはきちんと把握しておくべきでしょう。おそらく、この辺は普段は周囲から批判されるような発言をしない協調性の高い人ほど注意すべきで、自分の見た範囲の意見に同調して発言したら実は暴言だったなどと言うことになる可能性があることは知っておかないといけません。まあ、その辺はいわゆるITリテラシーの範疇ですから、これから時間をかけて社会に普及していくことになるのでしょうけれど、できる限り早い時期に定着することを願います。
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