mixiユーザー(id:52595329)

2020年01月07日00:05

259 view

法円坂遺跡

近隣にある法円坂遺跡は古墳時代、5世紀の大倉庫群跡である。これは難波宮が置かれる以前の難波津の遺構であり、200棟の建物遺構が検出されている。瀬戸内海から淀川、大和川を得て畿内に出る難波は当時既に重用な交通拠点になっていた事を示しており、古墳時代では最大規模の倉庫群である。これら巨大高床倉庫群のうち1棟が復元されている。

遺跡の北方には朝廷(最近ではこの頃はまだ大和朝廷(またはヤマト朝廷)と呼ぶべきではないとする説があり、朝廷ではなく王権と記する場合もある)による難波堀江(人口運河)の開削と難波津(王権の港)が設置されており、法円坂遺跡もこれらに関連した物とされて文献上にある難波屯倉に比定する説もある。しかし倉庫群は一度廃絶しており、6世紀頃に一度小規模化した上で再び活性化、巨大化していった。平成13年(2001年)に国指定史跡となる。この時、既に同指定を受けていた難波宮跡に法円坂遺跡の範囲を追加して「難波宮跡 附 法円坂遺跡」の名称に変更された。
6 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する