ユジノサハリンスクの郷土博物館2階に上がると、主に歴史展示である。
展示室の入口に、ここにも大きなネヴェリスコイ像が僕らを迎えた(写真)。ネヴェリスコイ像にお目にかかるのは、これで3度目だ。サハリンの1番の偉人扱いである。
◎高品質の北海道産黒曜石を素材にした旧石器
郷土展示室に入ると、まず考古展示に、目が行った。
見ると、旧石器時代には意外に黒曜石製の石刃石器が多い(写真)。すでに日本の研究者によって火山島ではないサハリンの黒曜石は、一部沿海州産もあるものの多くは北海道などから運ばれたものであることが突き止められている。
旧石器時代、サハリンと北海道とを隔てる宗谷海峡は陸化していたので、北海道はシベリア大陸からぶら下がったような形の半島だったから、白滝などの黒曜石産地から大量に運ばれていたのは当然である。
氷河期が終わり、宗谷海峡が現れ、サハリンが海で北海道と切り離されても、黒曜石の流入は続く。何しろ主に白滝などの北海道産黒曜石は、最高品質の石器素材であったからだ。ただ数は減る。
◎細石刃と植刄器も
旧石器時代最末期、一部縄文時代草創期初頭にかかる細石刃も展示されているが、これなど北海道の細石刃と全く区別がつかない。北海道の旧石器人と交流が続いていた証拠だ。
細石刃は、細石刃核から次々と爪楊枝のような小さく薄い薄片を剥ぎ取っていったもので、動物の骨や角に埋め込んで、狩猟具などとして使った(下の写真の上=「3」のナンバーの振られた6点の小さな石器が細石刃;下の写真の下=動物の骨に細石刃が埋め込まれた植刄器)。
◎鈴谷式土器とその時代の石器素材の劣化
ずっと時代が下って鈴谷文化期の鈴谷式土器も展示されている(写真)。
年代は、はっきり分からないが、紀元前数世紀のものだろう。鈴谷式土器は、日本統治時代、鈴谷貝塚で大量に収集されている。これが、日本統治時代に発掘されたものかは分からない。
注目していただきたいのは、土器の下に並んだ石器だ。もう少しはっきりと写し込めばよかったが、前述の旧石器や細石刃と明らかに違っている。見るからに品質の悪そうな石材が使われている。おそらく砂岩製なのたろうが、鈴谷式土器を作った人たちはもう北海道から良質の黒曜石を入手できなくなっていたのだ。
宗谷海峡がバリアになったのか、それは分からない。
注 容量制限をオーバーしているため、読者の皆様方にまことに申し訳ありませんが、本日記に写真を掲載できません。
写真をご覧になりたい方は、お手数ですが、
https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/201909040000/をクリックし、楽天ブログに飛んでいただければ、写真を見ることができます。
昨年の今日の日記:「2020年の東京五輪前のサマータイム論議、世界的には時代遅れ」
ログインしてコメントを確認・投稿する