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2019年07月11日07:10

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小説きちがい少年銀一郎・山中放浪2



小さな農具小屋を見つけ、そこを仮のねぐらとしたのはいいものの、夜はとにかく寒い。

申し訳程度の板壁は容赦なく風を呼び込む。

いくら毛布にくるまろうと寒さをしのげるものではなかった。

山の中であるから風がきつい。

ゴーゴー、ビュービュー吹く風はときに人の声にも聞こえ、いかに孤独になれた銀一郎とはいえ寒さと心細さは予想を超えるものがあった。

ただここで大阪のホームレス達がしている方法が思いついた。

まず足を新聞紙にくるんで、バックパックの中にそのままいれる。

そしてさらに靴下のなかに唐辛子の粉末をほんの少しいれた。

数十分したら足がホカホカして暖かくなってきた、これは効く。

小屋の数夜をそれで過ごしたが、新聞紙と毛布を巻くことで寒さはいくらかしのげることがわかってきた。

どうしてもまだ冷え込んだときは焼いた石を新聞紙でくるんで抱いたり足下に置いたりした。

これも役だった。

食事は芋やキャベツを焼いて塩で食っていたのであるが、そのときの石をそのままくるむのである。

しかし芋やキャベツだけではどうしても食生活に限界があった。

やはり子供とはいえ日本人であるから米が食いたい。
そんなときは祖母の家から拝借してもってきた米を一合だけ炊いた。

大阪では白米など炊く必要はなく、そこらへんに弁当だの寿司だの落ちているが、ここは瀬戸内の誰もいない山中である。

米が食いたければ炊くしかない。

とある晩、どうしても我慢できなくて、一合の米を飯ごうで炊いた。

はじめちょろちょろ中パッパという歌があるが、だいたいあれの通りだ。

沸騰してぐらぐら煮た後は、重しをして15分くらいまてばよい。

火も工夫がいった。

なんとしても火種である。

竹や松ぼっくりがいちばん火付きがいい。

火力をとにかく大きくして米を炊くのだ。

こうすると、下手な雨の中でも、飯ごうの火は消えないのだ。

待つこと数十分、やっと念願の米が炊けた。

蓋をとった飯ごうの米はキラキラと、まるでダイヤモンドのようだ。

初めてそんな飯ごうの米を炊いた夜は、とっておきの缶詰を開けた。

やきとりの缶詰だ。

これを開けて炊きたての飯ごうにいれるとこれ以上のものはない。

簡易鶏飯のできあがり。

それまでキャベツの焼いたのだの、ジャガイモの焼いたのだのそんなものばかりだったので、動物のように食ってしまった。

だけれど缶詰というものは貴重品である。滅多につかえるものではない。4−5個祖母の家からもってきたとっておきの缶詰は残しておいて、あとは工夫した。

一番山の中で採れてうまかったのは意外にも沢ガニの汁である。

見た目にグロテスクで、凶暴な奴らなのだが、沢に入って石をめくるとけっこういた。

手に毛が生えている奴らもいる。これらを捕まえた。

そして飯ごうの中に入れてナンマンダブとそのまま火をつけるのであるが、できあがったカニは真っ赤になった。

味噌をいれて味噌汁にしたが、これのうまいことうまいこと。

ジャガイモの焼いたやつにこの沢ガニの味噌汁で何度腹をふくらませたかわからない。

閉口したのはダニである。

ダニほどいやなものはない。

朝起きたら腹や股の間のやわらかいところを何カ所も食われている。

それはそうだ、ほぼ人のこない山奥の小屋である。ダニや南京虫がいたって不思議じゃない。

だけれどこれをほっておくと惨い目にあう。
ダニのかゆみは蚊のそれと比べものにならない。

誰もいない山中だ、昼は裸になって白いシラミをみつけつぶした。

そして小屋の至るところに灰や炭をまいて丹念に掃除した。

灰や炭は乾燥してシラミやノミを追い出すことをなんだか銀一郎は覚えていた。

ほうきはそこらへんの枝を束ねて即席のものをつくった。

山中はなんだってそうである。なければ自分で作るのだ。

体中に灰をまとったり、部屋中を煙でいぶしたり、灰をまいたりして、ダニは全滅こそしなかったが、少なくなった気がした。

ある晩、いつも通りジャガイモを石で焼いて、でかい缶詰を鍋にして、ナスビを使った味噌汁を作り、満腹になって寝そべっていたときのこと、心底幸せだった。

だが一方で、ふと夜空を見ながら考え込んでしまった。

「・・・わしはいったい何をやっとんじゃろう。木の股から生まれてきたわけじゃああるまいに、あのおとん(義父)から逃れ別天地と思った広島でもこれかい。・・」

なんだか惨めに思えてきて、手枕で夜空を見上げながら涙を流してしまった。

あれから30年ぐらいたった今思うが、人間は満腹にはならない方がいいと思う。

時間の余裕ができて、満腹になると、どうしても世間と自分と言うものを比べてしまう。

幸せとは絶対値であるべきで、人がいかに恵まれていようと、自分の今日の一衣一鉢があるとするならば、そこに幸せを見つけ出すことはできる。

だがしかし当時の銀一郎はそんな老成した考えなどできるはずもなく、無聊をもてあまして山中の奥深く奥深くへ探検しだした。

※気分がのれば続く

(写真はイメージです)
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