私が通った中学校には、音楽室の他に視聴覚教室というのがあり、1年生の時の音楽は視聴覚教室で、2年生のときのそれは音楽室で学んだ記憶があります。
2年生の時のクラスの教室は、この音楽室に近い所にありました。校舎があまり防音ということに配慮されずに建てられていたのか、音楽室からは、よく生徒たちの合唱・合奏や、音楽鑑賞のレコードの再生音が聞こえてきたものでした。
当時の音楽の教科書(2年生用)の鑑賞曲の一つが、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(以下、メンコンの愛称で表記)であったため、結果的に私は何度もメンコンを耳にすることになりました。
https://www.youtube.com/watch?v=ZwW4oruwyJU
ところが、メンコンはドイツでは演奏の危機に見舞われたことがありました。ナチスが台頭した1933年から第二次世界大戦でのドイツ敗戦に至るまで、ユダヤ人を公然と迫害していたナチスは、当時すでに故人であったユダヤ人作曲家メンデルスゾーンもその作品とともに敵視したからです。
ナチスが、近代美術や前衛芸術を、ドイツの社会や民族感情を害するものであるとの芸術観から、これを退廃芸術として禁止したことは有名です。これらの作品は、道徳的・人種的に堕落したものであるというのですが、それはナチスにとってはユダヤ人のことでもありましたからユダヤ人の作品も排斥されました。ナチスは、これを音楽の世界でも行ったというわけです。
もっとも、音楽については、絵画等の場合ほどには徹底しきれなかったように見えます。というのは、クラシックの世界には、(半ば冗談のように云われる言葉ですが)“クラシックをやってる男性はホモでなければユダヤ人だ”などという言葉まであるくらいで、ユダヤ人が果たしていた役割はとんでもなく大きく、ホモやユダヤ人の曲だからといって、いちいち排除していたら演奏できる曲が非常に限られ、演奏プログラムが貧相なものになったり、演奏会そのものが実施不可能になったりしかねない事情があったからだと推測されます(私見)。
とはいえ、メンデルスゾーンの名前は教科書から消され、ゲヴァントハウス(メンデルスゾーンが生前活躍したドイツのザクセン州ライプツィヒにあるコンサートホール)の前に建っていた彼の銅像は破壊されました。のみならず、彼の名が付いていた通りの名称は変更され、彼の作品の出版も禁止されたということです。
また、メンデルスゾーンには、『真夏の夜の夢』という劇付随音楽があるのですが(以前、こちらの日記でも紹介しました→
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1956129401&owner_id=22841595「結婚行進曲」が入っている曲と言ったら誰でも、あぁ、あれかと思い当たる曲です)、この曲に至っては、同名のタイトルで別作品を書くようにと、何人かの作曲家たちがナチスから命じられたということです(ナチス親派と見られがちなリヒャルト・シュトラウスは拒否しています)。
さらに、上記日記でも触れたメンデルスゾーン銀行は解体されてしまいました(シューリヒトは困ったかもしれません)。
そんな中、メンデルスゾーンの名前は伏せられたものの、人気に支えられて演奏され続け、ヒトラーも手を出せなかったのがメンコンだったのです。
クライスラーとハイフェッツの共演のエピソードでも触れたように(
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1964977173&owner_id=22841595)、あのとき演奏が求められた曲もメンコンだったことが示すとおり、当時におけるこの曲の人気には絶大なものがあったようです。
しかし、いかに絶大な人気があった作品とはいえ、あの時代、ナチス支配下のドイツでメンコンを演奏することには、それ相当の勇気が必要だったことと思います。それを思うとき、圧力に屈せず演奏し続けた人々、それを支えた聴衆には拍手です。
中でも、ゲオルグ・クーレンカンプというバイオリニストは大胆でした。この人は、1935年3月11日に、マックス・フィードラー指揮ベルリン・フィルとメンコンを演奏し、同年4月4日には指揮者を代えて録音まで行ったのです。レコードは、メンデルスゾーンの名前入りでドイツ国内で堂々と発売されたということです。
そのレコードと思われる音源
https://www.youtube.com/watch?v=cvqnVc8195w
もちろん、ナチスは猛烈に腹を立て、クーレンカンプに抗議しましたが、クーレンカンプが国外移住をほのめかすとそれ以上手が出せなかったそうです。
クーレンカンプがここまで大胆な行動に出ることができた背景には、やはり上述の“ホモでなければユダヤ人だ”というくらい、クラシック音楽に多大な貢献をしてきたユダヤ人をナチスが敵視したために、クライスラーをはじめ著名なユダヤ人バイオリニストが軒並みいち早くドイツを離れ、非ユダヤ人の一流バイオリニストもナチスに抗議して亡命した者が少なくなかったからと考えられます。クーレンカンプはドイツ国内に留まっていた数少ない非ユダヤ系の一流バイオリニストだったわけで、そのクーレンカンプから国外移住をほのめかされると、ナチスといえどもそれ以上抗議できなかったというわけです。 まぁ、そこまでの計算ができたクーレンカンプも、したたかですが。
メンコンが初演されたのは、174年前の今日のことでした。
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