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2019年02月01日16:22

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『磯崎新と藤森照信の茶室建築談義』を読んでみた。

磯崎新と藤森照信の茶席建築談議
http://mixi.jp/view_item.pl?reviewer_id=18627182&id=3656192

<以下、レビューページより転載>

2013年5月から2014年7月にかけて、13回に渡って行われた対談録である。

チャプターは、以下の通り(本書目次より)。

第一章 巨石文化と巨木文化
第二章 「てにをは」建築と「と」建築 東大寺法華堂と投入堂
第三章 和と雅への反抗 栄西と重源
第四章 九間と四畳半
第五章 市中の山居と茶室の由来
第六章 浄土庭園と『作庭記』
第七章 中国における自然と茶と庵
第八章 もし利休がいなかったら
第九章 <崩し>と『南方録』
第十章 石川丈山と文人茶
第十一章 天心と『茶の本』
第十二章 茶室の可能性「有時庵」を訪ねる
第十三章 高過庵から見えてきたもの

この対談録に継いで、モダニズム建築談義(※現在読書中)と「にわ」建築談義という、続編がある。

「茶室」建築談義というタイトルで、実際、話題の中心は茶室についてだったが、とても広範なタイプの建築について、また歴史(建築史や茶道史などなど)について語り合っておられる。お二人とも、途轍もない博覧強記。そこがまず凄いと思った。
お二人がお互いの論に刺激され合い、談義が展開・発展していく様がまた面白い。
ユーモアセンスは抜群であるが、学者である藤森さんの談話は、やはりロジカルに進む。それに対して気鋭のアーキテクチャーとして鳴らした磯崎さんの語りは、かなり独特。昨今、様々なジャンルのアーティストが文章表現をして、文学賞を受賞したりなんかもしているが、それらを読むと一種独自な文体のものが多い。それに似た印象を、磯崎さんの談話からは受けた。

自分の場合、これまで「(実際の)建物」に対するときには、対象を「目で見ること」ばかりしてきたように思うのだが、本書を読んで、その建物に入った時(その建物を目の前にした時)に感ずるスケール感とか、身体性(特に茶室は、取り分け利休が作ったとされる待庵などは、二畳という極小空間で、身体性を「感じずにはいられない」のだろうが、そのほかの物件についても同様に)ということを、談義の中でしきりに言われていて、なるほど今度からはそういった感覚を持って建物に対してみようと思ったりもしたりした。
読む者にとっても、知的にとても刺激的な内容の本であった。
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