私のいた高校のバスケットボール部では、こんなことがありました。
その日、I先輩にはスキがありました。
新しいバスケットシューズ(バッシュ―)を買ったことが余程嬉しかったのでしょう。I先輩は、金魚掬いで捕った金魚を入れるビニール袋を大きくしたような紐付きの透明な袋に新しいバスケットシューズを入れ(←中身が見えるようにしたわけです)、得意げにそれを見せびらかすようにぶら下げて練習にやってきました。
それを見たN先輩、「そのバッシュ―、すっげえかっこいい。ちょっと、見せて」と手を差し出しました。鈍い私でさえ、こりゃやばいと思ったのですが、I先輩はかっこいいと言われたことに気をよくしたのか、易々とその袋をN先輩に渡してしまいました。
それからの展開は予想どおりで、N先輩は、袋からバッシュ―を取り出すと躊躇なくそれを足元に置き、みんなで踏んだり蹴ったりし始めたのです。おニューの儀式です。
I先輩はその時になってようやく自分の新品のバッシュ―が儀式の餌食にされていることに気づき、自分の迂闊さが招いた悲劇に苦笑いするしかありませんでした。
なんで、こんなことを思い出したかといえば、ちょっと前にこんな記事があり(
https://news.mixi.jp/view_news.pl?id=5449497&media_id=2)、そこで使われていた“一連の儀式”という言葉が妙に引っ掛かり、そう云えば、おニューの儀式というのがあったなぁと思ったからです。
当時は、おニューの儀式は、岡山という一地方の、それもバスケットボール部だけのローカルな儀式と思っていたのですが、漫画『スラムダンク』にも出てきて、今では、この言葉は、全国区になっているようです。
まぁ、おニューの儀式は、傍で見てたら人の物を大勢で踏んだり蹴ったりしているわけですから、いじめのように見えるかもしれません。でも、おニューの儀式はこれをされる人が仲間から愛されていればこそ行われる儀式です。むしろ、これをされないとすれば、そのことがその人に対するちょっとしたいじめになるかもしれません。
こうした儀式は、お祭りになっていることもあるようです→
https://ohmatsuri.com/ja/articles/niigata-groom-throwing-ink-painting-festival
このように、いいことがあった人にちょっと意地悪をして祝福するということは、何も日本に限った話ではなく、大谷くんが、大リーグでこんな祝福を受けたことは記憶に新しいところでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=InZPOxkfXBA
https://www.youtube.com/watch?v=wWW4SM56g-g
大谷くんは、しっかり仲間から愛されているようですね。
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