応援上映など、興行の予想に反し、ロングランめいてきた人気。
本作はライブ・エイドに始まりライブ・エイドに終わる。
頂点たるステージの見せ方や、爆発する歌の力。
ラミ・マレックをフレディ本人と化す映画の魔法。
なるほど。バイラルで伝染しやすそうな見せ場と音楽は共有しやすい。
もっとも以外の物語は弱い。
ただ、クィーンやフレディの入門編・初級編なら十分。
大衆うけしやすいソフトケースだ。
映画はただの“パキ野郎”であったフレディが、
メイやテイラーと出会いクィーンを結成、
“伝説の人物”と化す生涯を描く。
同時にバイもしくはゲイであったフレディの“性質”も描く。
「クィーンの映画でフレディの映画」
欲張ったため、正直、表面部分しか描写できない薄味なものだというのはいなめない。
フレディの孤独は単純な「さびしさのアイコン」だし、*1
テイラーを代表に、金銭や印税の配分は映画よりずいぶん深刻であった。
アフリカでの失敗は描写しないし、*2
フレディがエイズを告白したのは現実だとライブ・エイドのあとだ。
そういう意味で映画はずいぶんと上品だし盛った印象が強い。
それでもプレンターを悪者にしすぎないところ。*3
喧嘩し衝突するスタジオで、
ディーコンが「バイツァ・ダスト(地獄へ道連れ)」
のリフを弾き始め「そのリフいいよね」と一転まとまる部分。
イヤなところを見せすぎず音楽でつながる4人を強調したのはよいかもしれない。*4
※1 いかにも表面部分しか掘り下げず、いかにもステロタイプな孤独の描写だ。人間ではなく最初からフィクションの登場人物のような描き方で感心できない。
※2 多様性と少数派を支持する当時のクィーンがアパルトヘイトを推進するサンシティで行うライブ。この行為によりバンドはすさまじいバッシングをうけて人気は失墜する。ただ、この反省はのちにライブ・エイド参加の動機にもつながる。
※3 ポール・プレンターが面倒な人物だったことはたしかだ。だがポール・プレンターがいなければフレディはもっと孤独で、より早くに自滅していたかもしれない。
※4 このあたりも今時の作風なのかもしれない。
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