mixiユーザー(id:17922359)

2018年10月16日16:17

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アメリカ精神受容前の日本・旧友向けメール



  説明するまでもなく、もっと悪かったね。明治に遡ってから見る必要があるかもしれない。
  明治に作られた教育勅語。「仲よく」という言葉が目立つね。何も天皇や国家役人の意向だけでもなかっただろう。国民の底辺からも同じものを当時は求めていたはず。何の前提もなく、いきなり仲よくと言おうか、人間関係を作る事を。愛に置き換えても良いかもしれない。そんな事ができるかね。できないね。神仏を別にしたとしても、自他の弱さを認識し合わない限りはできない。その又昔は、仏教=死の見つめ合い・弱さの自覚という、キリスト教とは別角度だが、結果的にはそれと同じものがあった。幕府で制度化していたとはいえ、江戸時代はずっと続いていた。でも、西洋のものが多く入り、仏教は古臭いと言われ、葬式専用のものに廃れていった。かと言って、キリスト教がそれに変わったわけでもない。国家神道は上からのものであり、人々の信仰にはなり得なかった。また、何より、弱さの自覚がそれにはない。一方、まだ明治は日清戦争までは国家の力なども弱かった。それでつなぎが乏しくなり、いきなり仲よくと。教育勅語ができた時期はそういう時だった。日清戦争で勝ち、まず政府の力が強まり、人々は尊敬も。次第に軍部も。日露戦争はもっとそうなった。後はご存知の通り。そして、敗戦。でも、戦前のものが否定されたからと言って、江戸時代までの仏教が復活したわけでも、正統キリスト教(カトリックやルター派など)が価値観になった訳でもなかった。それゆえ、アメリカの価値観を今度は丸呑み。でも、日本流にひん曲げて。そうだろう。歴史も、人種構成も大きく違うからね。よく知っての通りの独特の資本主義になっていった。
  詳しい説明は省くが、(本人はそんな事は知らないが)やはり、日本的にひん曲げたピューリタン的な仕事・活動主義でやっていた人が、色々あり、それに挫折して、今度は仲良し主義になった例も。死とか弱さの自覚ができない人はそのどちらかになるのかねとも思う。でも、僕はその人が仲良し主義に転向後はもっと話が通じなくなり、縁も切れていった。確かに、仮にトラブル点がなくても、いつの時代でも、いきなりの人間関係はすれ違いばかりで、付き合い自体も難しいわけです。「ひん曲がったピューリタン」よりも更に付き合いは困難。ムリに近い。そこから、離婚が多かったと言われる明治の頃も思うわけです。

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