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2018年08月23日22:50

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若気の至り…?

 東京は、数日前までほんの束の間涼しかったのですが、再び暑さがぶり返してきたようです。特に、湿度が高くなってきたのが嫌ですね。
 同じように、暑かったり、湿度が高かったりしたのかどうかはよくわかりませんが、居心地の悪さを感じた地を離れた作曲家が、その直後に作曲した曲があります。
 クロード・ドビュッシーが作曲したこの曲です。
https://www.youtube.com/watch?v=12V9POoWhtI

 “ピアノと管弦楽のための幻想曲”という曲名が付いていますが、実質的にはピアノ協奏曲と言っていいでしょう。
 フランスには、1663年以来、ローマ賞という芸術を専攻する学生に対する奨学金付留学制度があったのですが(1968年廃止)、1884年にその大賞を受賞したドビュッシーは、ローマにあるボルゲーゼ庭園内のメディチ荘に設立された在ローマ・フランス・アカデミーに送られ、そこでイタリア音楽研究の便を得ていました。
 でも、なんとも贅沢な話ですが、メディチ荘での生活がよっぽど居心地が悪かったものと見えて、ドビュッシーは留学期間を短縮までしてフランスに帰国し、直後にこの曲を作ったというわけです、その意味で、「やれやれ、せいせいした」とでもいった気持ちがこの曲を作らせたとも言えるかもしれません。
 だからというわけでもないのでしょうが、この幻想曲はドビュッシーの生前には初演も出版もされることはありませんでした。
 いや、正確に言うと、初演の機会はあることはあったのです。でも、その時の指揮者が勝手に密なプログラムを組んで、その時間的制約から、実質3楽章あるこの幻想曲の第1楽章のみを取り上げることにしていたため、憤慨したドビュッシーは総譜を引き上げ、初演をキャンセルしてしまったのです。このとき、ドビュッシー27歳、若気の至りというべきか、いやはや。
 その後、別の指揮者に依頼して初演すればよかったのですが、今度はドビュッシーの中にこの幻想曲を改定してやろうという強い意欲が湧いてきました。でも、意欲はあったものの、ドビュッシーは存命中には遂にその改定を成しえず、この世を去ってしまいました(初演はその死の1年半後にロンドンで行われた)。
 そういうわけで、作曲者自身が改定の必要を感じていたほどの曲であるためか、この幻想曲がドビュッシーの傑作と評価されることはほとんどないようです。おそらく、クラシックを聴く人でも、この曲を知っている人は、そんなにはいないように思われます。
 私も、以前、クラシックに詳しい人に、この曲を聴いてもらったこともあるのですが、その人もこの曲は知らず、それどころか露骨に嫌な顔をされました(ドイツ・オーストリア系でないクラシックはお気に召さなかったようです)。
 でも、それほど駄目な曲ですかね?
 確かに、いわゆるクラシック臭さみたいなものはあんまり感じられません。むしろ、(「やれやれ、せいせいした」といった気持ちが現れたのかもしれませんが)爽やかで涼やかに感じられる部分もあって、酷暑の今の季節に聴くには結構いい曲なんじゃないかと思えるのですが。

 そう云えば、昨日は、ドビュッシーの誕生日だったということです。

 …なんて、昨日、この日記を書いておれば、「今日はクロード・ドビュッシーの156回目の誕生日です」とキメることができたのですが、昨日はうっかりしておりまして。
 これも、若気の至り?
 「あんた、“若気”とか言える歳じゃないだろ! 1日遅れても、こう言って平気でいられる分、老人力が付いてきただけさ」と怒られそうですが(笑)
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