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2018年08月09日16:47

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狛犬渉猟File@神田明神

☆File#286 神田明神
○所在地…東京都千代田区外神田2−16−2
○社格など…江戸総鎮守、元准勅祭社、旧府社、東京十社の一
○訪問日…平成30年7月31日
○歴史・由緒など…天平2(730)年、武蔵国豊島郡芝崎村(現在の千代田区大手町、将門塚の在る地)に創建されたと伝える。延慶2(1309)年には平将門公が合祀され、太田道灌・北条氏綱といった名立たる武将たちによって手厚く崇敬されたと云う。元和2(1616)年に江戸城の表鬼門にあたる現在地に遷座し、江戸総鎮守として歴代将軍はもとより江戸の庶民たちからも崇敬されたようだ。明治時代には、皇城の守護神として准勅祭社・東京府社に定められた。
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○社殿前の1対(通算433号)
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折悪しく、境内施設新築工事のため、吽形のみ工事用の柵に囲まれており、近づいて拝見すること叶わず。。
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遠めに顔と、背後の段上から後ろ姿が見れたのみであった(;´Д`)
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基本は、招魂社型(護国型)のかたちをとるものの、耳の形状やタテガミ(髪型)にも阿吽で変化をつけ、社殿にお尻を向けて鎮座するなど、レアなアレンジを効かせてもいた。
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生年は、「昭和八年五月」(両像台座背面に紀年銘)。


○社殿脇・獅子山(通算数番外)
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社殿向かって右手の獅子山上に、親狛2躯と子狛1躯の計3躯が安置されていたが、当Fileでは、「別々の台座に乗った1ペアの参道狛犬」を対象としてファイリングしてきたので、同一の獅子山に乗ったこのタイプは、通算数では番外とするm(__)m
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それでも、親狛2躯の方は、区の有形民俗文化財にも指定される名品であるから、紹介だけはしておこう。
現地の解説板及びHP上での説明によると、下野の名工・石切藤兵衛(またの名を油売藤兵衛)の手になるもので、文久2(1862)年の作と云う。
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関東大震災で、獅子山(台座)と子狛を失ったものの、無事だった親狛は保存され、平成2年に獅子山が再建されたとのことである。


○境内社・合祀殿前の1対(通算434号)
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サイズも小さな、現代岡崎型のペアである。
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生年は、「昭和三十六年十一月吉日建之」(吽形台座裏面に紀年銘)。


○境内社・魚河岸水神社前の1対(通算435号)
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いわゆる《はじめ昭和》タイプの、なかなか迫力あるルックスのペア。子取り・玉取り型である。
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生年は、「昭和拾壱丙子年九月」(両像台座裏面に紀年銘)。


○境内社・小舟町八雲神社前の1対(通算436号)
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当社の最古参、見事な《江戸流れ》のペアである♪
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生年は、「文化六年巳五月建之」(両像台座背面に紀年銘)。
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上記紀年銘のあとに続けて、「昭和七年九月再建」との文字があるのが気になった。
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銘が刻まれていた台座が、新調されたものであることはわかったが、どこからどのあたりを再建したのか? その辺のところを詳しく記してもらわないと、、
狛犬愛好家としては、そんなようなことを思ったりもしたものだ(;´∀`)
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