mixiユーザー(id:2142867)

2018年04月27日01:45

92 view

勝てば××、負ければ

糸あやつり人形の歴史を調べていて、
明治維新は大きな転換期になっていると思うようになった。
そこで明治維新前後の動きなどを調べているうちに、
いろんな疑問を持つようになった。
奇しくも今年は維新150年、
表の評価だけが喧伝されているが、
失ったものも多い。

靖国神社は、戊辰戦争で亡くなった「官軍」の兵士らの慰霊、
顕彰のために建てられた東京招魂社を前身とする神社。
その宮司に徳川家の人がなっていたのだから驚いたが
彼の発言が
「会津藩士や西郷隆盛ら『賊軍』の合祀の動きを誘発した」
との批判を招き、退任することになったそうだ。
いまだに「官軍」「賊軍」の差別があるのかと驚いたが、
根強く残っている証拠に、原発がある。

原発17か所54基の大半が賊軍地域に偏っているのだ。
官軍地域にあるのは3か所、
一つは鹿児島だが、西南の役があり、
佐賀は佐賀の乱、
西郷隆盛が「賊軍」と言われるのだから
この2か所も賊軍地域と言えようか。

最後の一つは山口の上関だが、
ここは反対運動で工事は中断中なのだ。

国が一度決めたらどんなに反対運動があっても
権力を振りかざして強引に、または金を積んで進めて、
中断や中止なんてありえないものと思わされてきたが、
もしかしたら唯一の例外なのかもしれない。
首相のおひざ元なのだから、
これも森友や加計と同じなのかもしれない。

表立っての意図的な政策でなかったとしても、
地域経済振興のためと誘導された疑念は拭いきれない。

明治維新は日本を近代化した、
と言う美化された言葉ばかり展開されるが、
西洋文明への研究・学習は19世紀の初めころから始まり、
それが下地となって明治以降の発展につながるので、
明治維新だけの効果ではないのだ。

失ったものも考えなければならないだろう。
廃仏毀釈で失った仏像などは相当数になり、
外国人が止めなければもっと失っていたことだろう。
タリバンやISの前に、日本人はやっていたのだ。

実は仏教だけが被害になったわけでなく、
明治末に進められた「神社合祀」で、
例えば和歌山県と三重県の2県で
1906年に5819社あった神社が
その2年後には1922社に激減していた。
日本人の精神性が破壊されたと言っても
過言でないだろう。

柳田國男は、国家神道と徴兵制で
地方は疲弊すると反対したが、
今の過疎化は、明治に始まったと言えるのかもしれない。

「官軍」「賊軍」、まずはこの差別の根を絶たなければ。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2018年04月>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     

最近の日記

もっと見る