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2018年03月29日06:06

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富永仲基 佛教の研究と其の學説――「出定後語」 その7/11


大阪の町人學者富永仲基 内藤湖南

 富永仲基の佛教の研究と其の學説――「出定後語」



この富永仲基のどういふ點が偉いかといふと、今まで世間の人に知られてゐたのは即ち「出定後語」といふこの二卷の書の爲であります。

これは何處か大阪の本屋に板木が今でもあるだらうと思ひますが、この本にどういふことが書いてあるかと申しますと、佛教の研究です。佛教の研究といふのは、佛教を有難いものとして、近頃の人が禪學をやつて膽力を練つたりするやうな研究ではありませぬ。

佛教を批評的に研究した日本で最初の著述であります。

而もそれ以上の著述が曾て出來なかつた所の著述であります。その佛教の研究法といふものが非常にえらいものだと思ひます。

この本が出來ましてから、佛教者の方でも大分騷ぎまして、隨分有名な人がそれに對抗する反駁を書いて居ります。

京都のもと寺町にありました寺でありますが、了蓮寺といふ寺です、今はこの寺は引越して百萬遍の内にあります。今の住職は私共懇意でありますが、その寺の無相文雄といふ百數十年前の人は、淨土宗の非常な學者であります。淨土宗の學者といふことの外に、漢字の音韻の學については大したもので、この方では、日本で最初に學術的に研究した人と云つてよい餘程えらい人であります。

この坊さんが、富永の「出定後語」を攻撃した「非出定」といふものを書いた。これは版にならず寫本で傳はつて居ります。これも前から搜して居つて、先年了蓮寺の今の住職に注意したので、今の住職の熱心で帝國圖書館で見付かりまして、今はその方の研究者には知られるやうになつて居ります。これは簡單な「出定後語」の批評であります。併し實は「出定後語」の研究に對しては餘程つまらない批評でありまして、採るに足りませぬ。

その後に眞宗の慧海潮音といふ人がありまして、これは江戸の淺草で生れた坊さんであります。眞宗の坊さんとしては餘程不思議な人でありまして、眞宗でありながら戒律を守つて肉食妻帶もしなかつた坊さんで、有名な眞宗の學者でありますが、此人が又「出定後語」を反駁した本を作りました。中々難かしい名前の本であります、「掴裂邪網編」といふ、これも二卷ありまして、いろ/\反駁してあります。

勿論多少富永の誤を訂すだけのことはありますが、併し富永の根本學説に觸れたやうなことはありませぬ。

兎も角今日まで富永の著述といふものは、佛教研究の著述としては非常な立派なものです。


これをなぜ坊さん達が攻撃したかと申しますると、此人は詰り日本で大乘非佛説――大乘が佛説でないといふ、釋迦の説いたものでないといふ説の第一の主張者であります。

さういふことで坊さん達が躍起となつて此人を攻撃したのであります。

併し富永の研究は、大乘が佛説でないといつた所が、それは何も佛教に對し惡口を言ふために書いたのではない。

佛教者に言はせると、佛法を謗つて書いたやうに申しまして、非常に憤慨して居るのでありますが、實は何も謗法の爲に書いたのではない。唯だ佛教を歴史的に學術的に研究したいといふのであります。

昔は何でも歴史的學術的に研究すると叱られた。これは日本に限りませぬ。西洋でも天文の研究で叱られた學者がある。何處でも初め學術的に研究した人は皆叱られて居ります。

その研究の仕方が、どういふ點がえらいかといふと、大乘非佛説を唱へたといふことも、勿論えらくないことはありませぬが、私共はさういふ富永の研究の結果で出來た所の、その結論に感服するのではございませぬ。

此人の考へた研究法に我々感服したのであります。

日本人は一體論理的な研究法の組立といふことに、至つて粗雜であります。學者の中で非常な新しい思ひ付きがあつて、さうして新しいことを何か研究して産み出す人は相當にありますが、併し自分で論理的研究法の基礎を形作つて、その基礎が極めて正確であつて、それによつてその研究の方式を立てるといふことは、至つて日本人は乏しいのであります。

それは仁齋でも徂徠でも皆相當えらい人でありますが、日本人が學問を研究するに、論理的基礎の上に研究の方法を組立てるといふことをしたのは、富永仲基一人と言つても宜しい位であります。その點に我々非常に敬服するのであります。


佛教といふものは餘程をかしなものであります。をかしいと云つても漠然たる話でありますが、凡そ今日の學術の根本思想として、空間に關する考へ、時間に關する考へといふものがなければ思想の根本が成立ちませぬ。

ところがその點に於て佛教といふものは非常に自由であつて、自由といふよりは放漫であります。佛教では過去・現在・未來を三世と申しますが、指を彈く間に三世が起り、芥子粒の上に須彌山が現ずるといふ、時間も空間も滅茶々々にして考へる、それが非常に得意な所であります。




           < つづく >

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