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2018年03月22日07:53

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ビルマ敗戦行記 一兵士の回想録  荒木進 3/5

ビルマ敗戦行記 一兵士の回想録  荒木進


第一篇 応召より終戦まで


一、召集令状

 昭和十九年月末か六月の初め、日立市は生暖かい夜だった。窓下で地虫が鳴いていた。食事を終えて茶の間で寛いでいた八時頃、あわただしく玄関で「電報です」という声がする。
 ハッと胸騒ぎして、私はとっさに赤紙と悟った。正しく、六月十日麻布3聯隊に出頭せよとある。かねて覚悟のこととはいえ、足元から家全体が崩れ落ちる思いがした。
 すやすやと眠っている長男とも、家内とも、帰る当のない離別となる。いつかこの日が来ると覚悟はしていても、人間は儚い幸福がいつまでも続くと思うのだ。その安穏な小さい望みが今夢となって砕けた。
 十六年に教育召集、17年に臨時招集、とすでに二度赤紙受け取っている私も、今度ばかりはいよいよ最後という思いが去来した。戦況の実態が極めて危惧すべき状況にあることを、仕事を通じて知っていた。それに長男も生まれて百日足らず、まだ世慣れない若い妻、これが一生の別れになるかもしれず、束の間の仕合せも終り、かと思えば諦めがつかない。正直勇んで出征などという気持ちには到底なれなかった。
 それでなくても軍隊は私の性に合わない。誰しも嫌いだったろうが、強制一点張り、精神的に砂漠の如き非人間的取扱いが、私にとって苦痛だった。肉体労働は左程心を苦しめるものではない。
 然し拒むことのできない、否も応もない道である。やがて職場同僚の「歓呼の声」に送られて、命令通り、麻布六本木にある三聯隊の営門を潜った。梅雨前の六月のよく晴れた暑い日であった。

二、入隊
(私の迷い)
 入隊して判ったが、私たちグループの応召は600余名、ビルマ派遣軍「烈師団」の補充要員であった。これではいよいよ助からない。
 私は迷った。自分はどうしてこう分が悪いのだろう。同学の友人、A君、B君が経理部将校で東京部隊勤務でいるのが羨ましい。同じ工場の社員でも軍需業務ということで招集されない人もいる。なのに私はどうして一兵隊として死地に赴かねばならないのか。と言って通る話でないことは分かっているのに、心の迷いははれないのである。
 今回応召の600名も同じ身の上、烈師団の将兵はすでにやられているのだ。だからこそ私たちが補充に行くのではないか。私一人が不運なのではない。私の思いは未練というモノである。然し、私は悩んだ。正直に言って、今度ばかりは何としても助かりたかった。滅私奉公、一死殉国の世の中で、口にも出せない気持ちである。

(父の訓え)
 面会に来た父に私は打ち明けて相談した。父はいくらか有力者でもあったので、せめて内地勤務に廻される手蔓でもないかと尋ねたのである。
 所が父は曰く。人間の智恵など小さいものだ。これがよいと自分は考えても、それが必ずよい結果になるとは限らない。その逆も同じだ。この場は天命を信じ、このまま行ってくるがよい。誰もお前の無事を祈らぬ者はないのだ。
 当時の私は胸が一杯だったので、息子の一命に関はることなのに、親父も冷たいな、と実は思った。だが後で悟った。父は偉い。その言も正しいし、愛児の必死の顔付を前に、中々こうは言放せないものである。父自身なんで我子を、安んじて死地に送りうるだろうか。



13〜15頁部分

非売品
発行 昭和五拾六年九月三十日
著者 荒木進
   東京都世田谷区深沢八町目十七の七
印刷 日立印刷株式会社



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