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2018年03月18日05:03

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死臭の道  一兵卒の緬甸鎮魂歌 後記 その12/12 藤吉淳之


死臭の道  一兵卒の緬甸鎮魂歌 後記  藤吉淳之  


 歌集「屍臭の道」は、普通に言われている戦争詠ではない。しかし、戦時中、内地で、銃後の人々や、徴用されたり、被爆した人たちが、その悲惨なさまを、歌にしたものを、戦争の歌と称すれば、この歌集を、戦争の歌といってよいと思う。


 副題のように、戦争末期のビルマ方面軍最後の補充兵として、駆り立てられた一兵卒の、これは、彼の地で戦って、死んでいった人々への、ビルマ・レクイエムである。

 軍隊経験といっても、召集1年まえの昭和18年に教育召集を受けた三か月であって、戦闘の経験は一度だけで、交戦後約一時間の後負傷のため、後方に退った。 それからは、敗残の傷兵として、また抑留の捕虜として、かろうじて生残り、昭和二十一年六月復員した。

 その間は、一等兵として、悲惨な状況の中で、生きるために、つぶさに辛酸をなめつくした。一個の生きものでしかなかった。戦況の動きとか、部隊名も忘れてしまった。所属分隊は全滅したという。復員後も、戦地での縁辺を尋ねることをしなかった。また、人々から、戦場のことを聞かれても、思い出すのも嫌で、沈黙を通した。

 ところが、忘れ去ったはずの悪夢は、心の奥底に沈潜していて、時折、心に浮かんで来ては、私を苦しめた。

 この三十余年は、戦場の後遺症に悩み、この悪夢をふり払いながら生きて来たといってよい。しかし、それは、歳月と共に消えてしまうほど、生やさしいものではなかった。それどころか、私が生きているかぎり、それはつきまとって離れないだろう。

 ともあり、私は、それを散文形式では記録しなかった。できなかったのである。

 しかし、当時の、具体的事実を忘れ、捨て去ることのできる記憶を、できるだけ捨て去って、なおかつ、私の心身に刻みつけられて、今もなお消え去らぬ、生涯の傷痕ともいうべきものがある。それを端的に、歌に託すことによって、この悪夢から解放されようと願ったのである。

 いま、歌に託すといったが、これらの歌を、果たして、日本の言語藝術の持つ、短詩型文学としての短歌といってよいだろうか。確かに、ここには、短歌というもののもつ、独特な美意識など、すこしも存在しない。まして、甘美な詩的世界では、無論ないのである。

 
 日本の風土の中で生活するときの、自然や季節のうつろいに深く心をよせ、自らの人生に通ういのちをみつめ、日本的感性による、特有の美意識を表現することは、何度も極限状態におかれた、生き地獄ともいうべき凄惨な状況下では、それは不可能に近い。

 しかし、少なくとも、日本的感性を伝統されて来た私にとっては、短歌という詩型によってしか、泰緬国境に散華した同胞への鎮魂のよすがはなかった。同時に、自身の悪夢からの解放のてだてはなかったのである。

 戦争はむごい。 戦争は醜悪で、恐怖に満ち、過酷で、悲惨きわまるものだ。




              <   完   >




<死臭の道 一兵卒の緬甸鎮魂歌 藤吉淳之 全125頁 123〜125頁より>




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