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2018年02月18日11:59

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徐福公園

那智勝浦を下って来た道を逆戻り。行先は新宮市へ。

徐福とは古代中国、斉国の出身で中国史上初の統一を成し遂げた秦の始皇帝の家臣です。始皇帝は中国大陸を秦国によって統一成し得たものの、自分の死後における国の行く末を案じ、不老不死への切望があった。

徐福は始皇帝に対し「東方の山神山に長生不老(不老不死)の霊薬がある」と説いて大遠征を進言し。命により3千の童男童女と百江(多くの技術者)を従え、五穀の種を持って出征。しかし平原広沢(広い平野と湿地)に至って王となり遂に戻る事はなかった、と伝わっている。

東方の三神山は「蓬莱、方丈、瀛州(えいしゅう)」の事であり蓬莱山については後に日本でも「竹取物語」で知られるようになる。方丈は仙人の住む山で東方絶海の中央にあると伝わり、瀛州は後に日本を示す言葉となった。

別説では徐福が始皇帝に不老不死の霊薬を献上するために援助を申し入れてこれを得たものの、しばらくして始皇帝自らが港へ出向くと船団はまだ出向していなかった。始皇帝は改めて出征を命じて帰路へ着くが、その道中で崩御したため徐福は不老不死の霊薬を名目に物品をせしめた詐欺師として描かれている。

出港地は中国山東(さんとう)省や浙江(せっこう)省など諸説あるが現在では河北(かほく)省秦皇島(しんこうとう)、浙江省寧波市慈渓市(ねいはしじけいし)が有力となっている。そこから韓国済州(チェジュ)道西帰浦(ソギポ)市を得て朝鮮半島西岸を進み、日本へたどり着いたとされている。
日本各地にも徐福伝説はあり佐賀県佐賀市、三重県熊野市、和歌山県新宮市、鹿児島県出水市、いちき串木野市、山梨県富士吉田市、東京都八丈島、宮崎県延岡市などに伝わってる。こうした場所には徐福が持っていたとされる物を御神体として祀っている神社が数多くある。長野県蓼科(たてしな)山には徐福がこの地に住んでいた時に生まれた双子が遊んだという「双子池」「双子山」がある。

徐福出征は2度あり最初の西暦は紀元前219年、日本では孝霊天皇72年。二度目は紀元前210年、孝元天皇5年と言われている。朝鮮の言い伝えでは孝霊天皇の代に日本の紀州に来て崇神天皇の代に死去して神として祀られたとなっている。

一部、トンデモ説ではあるがイスラエルの失われた10支族の1つである「ヨセフ(ジョセフ)}が徐福ではないかとの説もある。

和歌山県新宮市には徐福公園があり、徐福の銅像や近くには上陸の地もある。
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