mixiユーザー(id:1506494)

2018年01月20日23:05

491 view

東京シティフィル第312回定期@東京オペラシティホール

このオーケストラは昨年の6月に拝聴しまして、なかなか歯ごたえのある演奏であったにも
拘わらず客の入りの悪いのが気の毒だった、だからできるだけ応援したいと思っておりました
ところ、桂冠名誉指揮者である飯守泰次郎氏の指揮でブラームスを2年がかりで採り上げる
企画があるという、その第1弾が本日ありましたので、昨日に引き続き連続で初台に行きました

出かける準備をしていてチケットを見ると、開演30分前からロビーコンサートがあると書かれて
いて、これには気が付かなかった(あるいは前売りを購入した時点では知っていたのに
失念していた)あわてて予定より20分早く家を飛び出しました
余裕で間に合って、シュポアの九重奏曲の第1楽章というのを聴きました
シュポアの名はガブリエル÷彦君が”6 Gesänge, Op.154”というのを歌っていた(YouTubeに
画像アリ)ので知っています
各パートの首席クラスが弾いていたので、とても素敵なアンサンブルでした

さて本番は交響曲第2番と第4番の組み合わせで、ワタシは2番が大好きなのであります
もちろん技巧の粋を尽くした4番も悪かろうはずがありません、これはベスト・カップリング
それを大家の飯守先生がお振りになるのですから、応援するにも力が入ります
事前に4番の方をバルビローリ指揮ヴィーンフィルでおさらいして臨みました

まずは事前準備が不要なくらい何度も聴きこんでいる2番ですが、冒頭の伸びやかなテーマを
非常にゆっくりと、ルバート気味と言っていいくらいに弾き始めました
これだけでなく、マエストロ飯守はパーツパーツを丁寧に扱うことをオケに求めているようで
多分練習のときからそれを徹底していたのではないか、決して流されるような演奏ではありま
せんでした

逆に言うとそれが災いして流れるような優美さを失っていたようにも思います
ブラームスイコール武骨な、晦渋な音楽ではない、古典様式に頑ななまでに従っているとはいえ
あくまでもロマン派の音楽です、それが感じられなかったかなあと
それでも終楽章の最後の追い込みは、ここが醍醐味でここが聴きたいから2番を聴くという
くらいの血沸き肉躍る部分ですが、充分ドライヴして圧倒的に弾き収めました

4番もまた第1楽章の、あの切なくなるような歌い出しのHの音をデフォルメするくらいテヌートして
演奏し、ハッとさせます
第1楽章を演奏し終わったところで拍手が起こってしまいました(いくらなんでも早すぎる)
居眠りでもしていたのでしょうかね、マエストロも憮然とした感じ
第2楽章のメロディは2番の第3楽章に似た音型ですが、内容は全然違う、2番ののどかさは
ありません、ホ長調でありながらいきなりFisもGisもナチュラルが付いて、これがフリギア旋法
というものなのですね
この楽章の弦楽によるアンサンブルは非常に美しい、失礼ながら(前回もそう言ってしまった)
美音とは言えないシティフィルでしたが、美しさを感じさせる演奏でした

第3楽章はあたかも終楽章のような趣のある決然とした感じの曲で、第1楽章のどちらかと
いうとセンチメンタルな情緒を振り捨てた感があります
この楽章はトライアングルが大活躍しますが、初演の時この楽器を担当したのが若き日の
R.シュトラウスだったそうです
だからというわけでもないのでしょうが、本日の会場には日本R.シュトラウス協会の常務理事
であるドイツ文学者田辺秀樹先生の姿がありました(明大前からお姿拝見していました)

終楽章はシャコンヌの形式なのだそうですが、ワタシはシャコンヌとパッサカリアの違いが
わからない、ネットで調べてみても納得のいく説明にはお目にかかっていません
ともかく、変奏曲によって書かれ、しかもいくつかの変奏単位に適宜まとめるとソナタ形式に
なっているという、ブラームスの古典主義ここに極まれりであります

ヴァーグナー派のヴォルフが酷評したのは当然でしょうけど、マーラーも内容空疎と切り捨てた
らしい(マーラーは形式を無視してぎっしり詰め込むタイプでしたから)
ワタシは節操がないもので、ヴァーグナーもヴォルフもマーラーも、ブラームス同様愛聴して
おります(多くの演奏家は特定の作曲家に偏っていないでしょう)

来年の1月には1番と3番の組み合わせで演奏される予定です
幸い都響の定期とは1日違いで重なっていないので拝聴することにしましょう
2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2018年01月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031