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2017年11月24日06:58

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二人のカーネギー

 米国には、1937年に初版が出版されて今なお版を重ね続けているベストセラーがあります。
 デール・カーネギーが著した『人を動かす』です。
 自己啓発書の元祖とも云われている本であり、ビジネスコミュニケーションに関する名著とされています。聞くところでは、あのゴルバチョフも、書記長当時、米国のレーガン大統領から勧められて読んだということです。
 私も、この日本語訳を中学のころ読み、ものすごく啓発されました(まぁ、ものすごく啓発されても、この程度なのですが(^^♪)。
 ちなみに、これらの日記(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1959900237&owner_id=22841595
, http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1959803634&owner_id=22841595)の素材となったのは、この本に書かれていたことです。
 この本には、数多くの実例が挙げられていて、そこがとくに面白いのですが、とりわけ、鉄鋼王と云われた大富豪のアンドリュー・カーネギーに関する逸話には、興味深いものがあります。
 例えば、こんな話があります。
 カーネギーの義妹は、エール大学に行っている息子ふたりのことで、病気になるほど心配していました。ふたりとも自分のことだけ考えて、家には手紙を一通もよこさなかったからです。彼らの母がいくら躍起になって手紙を出しても、返事がこないと愚痴ってたら、それを小耳にはさんだカーネギーは、甥たちに手紙を書いて、返事をくれと書かずに、返事を出させることができるかどうか、百ドルの賭けをしようと言い出しました。賭けに応じる者がいたので、彼は甥たちに、とりとめもないことを書いた手紙を出しました。ただ、追伸に、ふたりに五ドルずつ送ると書き添えました。しかも、その金は同封しなかったのです。すると、甥たちからは、「アンドリュー伯父様、お手紙ありがとう…」と、すぐ感謝の返事が来たということです(あとの台詞はご想像にお任せしますが、多分当たっています)。
 金で釣ったといえば、まぁそうなのですが(ただし、日本円にして600円程度のはした金であることに意味があります)、デール・カーネギーがこの実話から言いたかったことは、人を動かすには、まず相手の望むことを考えよ(それを理解すれば、500円程度のはした金でも人は動かせるものなのだ)ということでした。
 また、こんな話もあります。
 アンドリュー・カーネギーは、十歳のときには、すでに人間というものが自己の名前に並々ならぬ関心を持つことを発見していたそうです。
 まだ彼がスコットランドにいた少年時代のこと、ある日、彼は、ウサギを捕まえました。ところが、そのウサギは腹に子を持っていて、まもなくたくさんの子ウサギが小屋にいっぱいになりました。たちまち、えさが足りなくなったのですが、彼には素晴らしい考えがありました。近所の子供たちに、ウサギのえさになる草をたくさん取ってきたら、その子の名を、子ウサギにつけることにしたのです。
 この計画はみごとに当たり、カーネギーはそのときのことを決して忘れませんでした。
 後年、ペンシルバニア鉄道会社にレールを売りこむときにも、彼はこの手を使いました。当時、エドガー・トムソンという人が、その鉄道会社の社長だったので、カーネギーは、ピッツバーグに巨大な製鉄工場を建て、それを“エドガー・トムソン製鋼所”と命名したのです。ペンシルバニア鉄道会社が、レールをどこから買いつけたか――それは、ご想像のとおりです。
 あるいはまた、ユニオン・パシフィック鉄道会社への寝台車の売りこみ競争でジョージ・プルマンの会社と、採算を無視してしのぎを削り合っていたとき(ほとんど泥試合に陥っていました)にも、鉄鋼王は再びウサギの教訓を思い出しました。
 そこで、プルマンと顔を合わせた際、カーネギーはプルマンに、前から考えていた両社の合併案を打ちあけました。プルマンは注意深く聞いていましたが、半信半疑のようすで、カーネギーにこう尋ねました。
「ところで、その新会社の名前はどうするのかね?」
 すると、カーネギーは、即答しました。
「もちろん、プルマン・パレス車輛会社としますよ」。
 すると、プルマンは急に顔をかがやかせて、こう言ったということです。
「ひとつ、わたしの部屋で、ゆっくりご相談しましょう」。
 この相談が、工業史に新しいページを加えることになりました。
 まぁ、ここまでの自分の名に対するこだわりは、日本人にはないものなのかもしれませんが、それでも自分の名前を大事にしてもらって不愉快になる人はいないと思われます。

 ところで、名前といえば、デール・カーネギーのマーケティング戦略で最も成功したものの一つは、アンドリュー・カーネギー(Andrew Carnegie デール・カーネギーとの親戚関係はないそうです)が広く知られ尊敬を集めていた当時、「Carnagey」から「Carnegie」へと名前の綴りを変更したことであろうと云われています。実際、この名前の綴りの変更により、1916年までには、デール・カーネギーは、講義会場のカーネギーホールを満員にできるようになったそうです。ちゃっかりしてますね。

 ちなみに、デール・カーネギー(1888年生れ)は今日が、またアンドリュー・カーネギー(1835年生れ)は明日が、それぞれ誕生日でした。
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