たしか小学校二年生だったと思う。転校ばかりしていた自分にも、やっとたった一人友達ができていた時期があった。
ぼくは汚いだとか貧乏人だとかいわれてよくいじめられていたが、クラスの中でたった一人、竹内くん(仮名)だけはなにかと
「ぎんじろ ぎんじろ」
と言って相手してくれた。
クラスに入ってだいたい一ヶ月たったころ、竹内くんはぼくの家にも遊びにくるようになった。
自分には友達がいなかったので、とても嬉しかった。
でもそのころにはぼくには竹内くんの事情が少しだけわかるようになってきた。
原因はわからなかったが、竹内くんも嫌われていたのだ。
竹内くんの家もぼくの家と同じようで、お父さんはいるが、新しい奥さんに夢中で、竹内くんは家にいたくなかったらしい。
同類相憐れむの諺通り、自分たちは親友に近い間柄になった。
しかし竹内くんは変わっていた。
日曜の昼頃になっても、彼は家には帰らなかったのだ。
ふつうは子供でも暗黙のルールがあって、その家の昼食を食べるようなことはせず、午後に続けて遊ぶにも、いったんは帰るのがセオリーなのだが、竹内くんは帰らなかった。
まあ自分の家もほぼ両親はいなかったので、竹内くんが家にそのままいてくれることは大賛成だったのだが、困っことは食事だった。
当時ぼくの母親は、食事がないとあまりにもかわいそうだと思ったのだろう。
土日たとえ一日中家にいなくとも、カップラーメンひとつだけはおいておいてくれた。
しかしこのカップラーメンを竹内くんと分けてしまうと、ぼくはその日ずっと腹を減らしたままになってしまう。
ぼくは竹内くんに悪い悪いと思いながらも
「・・ほな悪いけどぼくだけ食うで」
と言って自分だけ食べた。とても気まずかった。
しかし僕が残したスープを見て竹内くんが
「ぎんじろ、スープ飲まんのなら俺にくれや」
といった。
ぼくはふしぎに思って
「・・ええけど、どうすんの?」
と聞いたが、竹内くんはそそくさと急ぎ足で家に帰って米だけ持ってきた。
そして家にある鍋で器用に米を炊いたかと思うと、出来たての米に、自分の残したスープをドボドボと入れた。
「・・・これがうまいんじゃあ!」
と言ってそれをうまそうにたべた。
自分が目を丸くしてそれを見ていると
「・・・だまされた思うて食うてみい」
と出されたそれを恐る恐る食べたが、たしかにうまかった。
「・・うま!」
「・・ほうやで、その上にカマボコだとかネギとか更にいれてみい、もっとうまいでえ」
と竹内くんは得意気に言った。
竹内くんは残った白米を自分とわけて、それを食べさせてくれた。
僕たちはお腹いっぱいになった。
ふたりでゴロンとなって、天井を見上げながらぼくは言った。
「・・ああー腹いっぱいなるのはええのう・・こうやって腹一杯たべて、ゴロンとなれるのは、何日ぶりじゃろうのう」
竹内くんは
「・・おまえそんなに飯食うとらんのんか」
と聞いた
「・・食えんときのほうが多いんよ。みじめな話じゃのう」
というしかなかった。
竹内くんは
「ほうか・・おれんちは、米だけはある。だから心配せんでええ。米だけはもってきたる。・・・でもまだ方法はいろいろあるんで?」
と言って台所に行った。
竹内くんは残った煮干しを見つけると
「・・ええもんがあるじゃあなあか、これをフライパンで焼いてレモンかけてくうてみい、うまいぞお」
と言った。
そしてニンニクを5−6個見つけると、それをそのままコンロにくべて焼き始めた
ぼくは初めて見る竹内くんの料理に、とても驚いた。
そして焼きあがって黒焦げになったニンニクを向いて、白い湯気を出した身に爪楊枝を突き刺して、僕に
「くうてみいま」
と言ってさしだした。
そのうまかったこと、うまかったこと。
「・・・じゃがいもみたいにうまいんじゃのう!」
と飛び上がらんばかりの美味しさだった。
その後は竹内くんと残り物の晩餐会を開いた。
自分と竹内くんはそれまで以上に親友になった。
自分が学校を休むと竹内くんは帰りに心配して家にくるようにもなった。
「・・・なんでがっこうにこんのけ?」
と聞かれ
「・・給食費払えん・・先生に立たされるのも、かっこうわりい」
というと、
「・・・そんなん心配せんでええ・・わしんちも実ははらとらんもん」
と言った。
当時のぼくは、竹内くんがいることで、どれだけ助かったろう。
しかしある日竹内くんとの別れは突然やってきた。
ぐうぜん自分のうちに他のクラスメイト数人が遊びにきているときである。竹内くんがその最中遊びに来た。
ほかのクラスメイトは竹内くんを見ると
「・・・お前、帰れ!」
と言った。ほかの子供も
「・・ほうや、帰れ帰れ!」
と言った。ぼくは驚いて
「・・・なんで帰すんや?竹内くんも一緒に遊んだらええやないか」
といったのだが他の友だちは血相変えて
「・・あかん、あかん!あいつ嫌われもんなんやど!!」
と言った。
ぼくはみんなの雰囲気に押されてしまって、それ以上は何も言えなかったのだが翌日竹内くんにクラスで会ってあやまろうと思うと、竹内くんは口を聞いてくれなかった。
偶然その日竹内くんは宿題をやっていなかったとかで、居残りで宿題をやっていたが、ぼくは竹内くんと帰ろうと思い、ずっと同じ教室でまっていたのだが、竹内くんは先生に
「・・先生、これ」
と宿題のノートを差し出すと、教室からでて、かけて一人で出ていった。
教室からは、黒いランドセルを背負い足早に去っていく竹内くんの姿が見下ろせた。
先生がそんなぼくを見て
「・・・あれ?銀次郎くん、竹内くんをまっとったんじゃないん?」
と言われたのだが、竹内くんが先に帰ったと知るとため息をつきながら
「・・・あの子ねえ・・ああやからねえ・・せっかく銀次郎くんだけでも友達になってくれとったのにねえ・・」
と言った。
しかしぼくはぼくに原因があることを知っていた。
(ちがうんじゃ先生。ちがうんじゃ・・・ほんとはぼくがわるいんじゃ・・)
といったけれど、どうしても本当の理由は言えなかった。
それから一週間がたったころ突然竹内くんがいなくなった。
先生はたった一言
「竹内くんの家の都合で、他の学校へいくことになったそうです」
と説明した。
「しまった。」
と思ったが、もう遅かった。
あれから40年の月日が経ったが、ぼくはいまでも竹内くんがつくってくれたカップラーメンだしのおかゆが大好きである。
これを食べると、せつない気持ちと共に、竹内くんとの思い出がいまでも頭に浮かんでくるのだ。
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