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2017年05月06日17:37

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社会を広く深く見る事

  僕は1967年(小学6年)くらいから、学生たちと多く付き合い、見てきたし、近年は従兄弟の1946年生まれ=全学連世代の川本兼氏からも、その学生時代の様子を聞いている。1960年代の日本はまだ貧しかったが、学生たちは社会を、経済を、法律や政治を広く深く学んだものだ。全学連活動もその学びの果てだという。「勉強もせずにアジ演説ばかり」と世間では思われているが、それは誤解である。また、勉強の結果、福祉関係に問題意識を持つ人も出て、ボランティア活動の走りとなった。その世代の光明養護学校の卒業生たちも勉強に熱心で、その延長上に障碍者運動をした。貧しいがゆえに社会の矛盾もよく見えて、政治変革や社会変革、障碍者運動にもなっていったのだろう。僕もその先輩世代の人たちには敬意を持っている。
  でも、僕の世代(僕は1956年生まれ。田中康夫氏と同じ)になると、全般的に向学心は衰え、健全者は勉強=受験のための暗記、と考える人が増えた。大学に入ったら勉強しない人が増えた。その一部がボランティア。勉強やゼミに行かず、施設・在宅の別なく、障碍者やハンセン氏病元患者の所に。世田谷ボランティアに来た青山大学の女子大生が「私は勉強は嫌いなの」と公言もしていたのを覚えている。
  世代に関係なく、社会を広く深く勉強している人たちは障碍者や元患者と付き合っても、社会制度の不備とか、広い社会面から障碍者などを見る感じで、よく理解もしてくれるし、連帯もできる。でも、勉強していない人が障碍者などの所に行くと、狭く相手を見る感じになり、誤解が起きたり、理解できなかったり。その最たる例が「素人啓蒙の難しさ」で書いたような事。ハンセン氏病啓蒙に医学知識が必要であることもその福祉会の人たちは気が付かず、挫折したと。勉強しないで啓蒙する事はおかしいわけだが。身障者や元患者たちの側も社会を広く深く見られないのならば、もっと関係は悪くなると。
  その後の若者たちの事はよく知らない。ある年代は遊び志向。新興宗教志向の時もあったらしい。又、勉強目的が金儲けという世代もあったようだ。でも、全学連世代の再来はないのではないか。因みに、「素人啓蒙の難しさ」に書いた事を全学連世代の社会活動家のクリスチャンの人に話した事がある。「どんな形であれ、感染にこだわる人は権力に従順な人たちである」と切り捨てるような話し方をしていたのが印象的だった。確かに、療養所の医者や職員は感染例がない。その面からも感染は、政府のプロパガンダに過ぎなかったそうだとも言っていた。社会を広く深く勉強しないと何もできないわけである。
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