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2017年01月14日13:56

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暮らしらしっく  移住計画です!

  長野に移住だ!

 …と、突然決めたのは去年の10月末、薙刀の大会の直前のことである。いや、厳密に言うと突然ではなくて、奥さんとの間では常に「いずれ東京を出て」という話がいつもあった。

 どちらか言えば田舎暮らしのほうが好きだし、週末のたびに出かけるのは群馬とか長野、山梨の方。都心部になどほとんと遊びにいったことがない。東京に越してきた最初の数年は神田の古本街とか出かけたが、やがて人の多さに辟易してしまい、ここ十数年は用事以外で都心部に出かけたことはない。

 しかし現実的に移住するとなると色々な困難が伴う。まず、再就職先があるのか? それに今、住んでる家は売却しなきゃいけない。書庫に蓄積された本を引っ越しさせるのは、大変なことは想像に難くない。それに八王子に住んで始めた薙刀もどうするのか。

 そんな難しさもあって、移住は口にするものの「現現実」的な話にはならなかった。が、僕は決意したのだった。本当に会社を辞めて、今より少ない収入になり、今より狭い賃貸暮らしになっても、移住をすると。

 一番大きな理由は娘である。

 娘のがあちゃんに、正式に軽度知的障害という診断が下りた。娘は小学校では支援級に通うことになる。…のは、いいのだが。

 歩いて10分ほどの最寄りの小学校には支援級が一つもない。二番目に近い小学校には支援級は一つ。しかし定員の空きは一人で、そこに入れるかどうかは判らない。さらに遠い…ところになると、もう娘の足で通える範囲を越えている。毎日、奥さんが登下校に付き添うことになる。

 奥さんがほとんど働きに出られなという意味で、それが極めて厳しい条件なことは間違いないが、それ以上にそもそも、この地域に「十分な支援体制が整ってない」のだ。

 少し娘の軽度知的障害について説明しておくと、「軽度」というくらいで、例えばダウン症のように一目でそれと判るような特徴はない。ただ、言葉が遅いのである。一般的に知的軽度の子は、定型発達に「×0.7くらい」と言われているようだ。娘は今五歳だが、0.7がけで3.5歳だとすると、まあそんな感じだ、と思う。

 難しいのは、言葉によるコミュニケーション能力以外の知的能力では、さほど遅れは見られないことだ。むしろ、平仮名は全部読めるし100まで普通に数える。定型発達の子(いわゆる普通の子)でもできない子もいるので、保育園の先生に驚かれるくらいだ。また記憶力も高いし、用具を使うことも上手い(一般的に知的軽度の症候として、手先が不器用だったり運動能力に遅れがみられるらしいが、娘はそれはない)。

 一般的には知的軽度の発達上限は15歳(中三くらい)らしいのだが、それもばらつきがあって何とも言えない。大学に入ってしまった例もあるので、個人差というより、個々人でまったく違うといってもいいらしい。実際、普通級にいたけど途中から支援級になる子や、逆に支援級にいたけど途中から普通級になっちゃう子など様々だ。娘も実は診断の先生に、「もしかしたらですが、途中で追いついちゃうかもしれません」と言われている。

 で、こういう知的軽度や発達障害(アスペルガーやADHDなど)の子を支援級で見る、という体制になってるわけだが、その初期環境や十分な関わり、ケースに応じた訓練や教育を受けたかどうかで、その後の発達の『伸びしろ』が変わってくる……というのが最近判ってることなのである。

 つまり成長期における環境は非常に重要なのだ。正直に言うと、今の生活は安定して、贅沢とまでは言わないが、まあまあの生活だった。夢だった書庫のある家に住んで、好きな武道をやって暮らしてる。そういう安穏な生活を捨てて、新しい場所に移るのか?

 行こう、と思った。ある日、さんざ考えて帰宅して突如、奥さんに「会社を辞めて、東京を出る」と僕は宣言した。

 「うん、判った」と、奥さんは、あっさり頷いた。拍子抜けした僕は訊いた。
 「……驚かないの?」
 「いや、いずれ言い出すだろうと思ってたから。ただ、『今』だとは思ってなかったけど」

 奥さんの想像では、移住は小学校卒業時くらいかな、と予想してたらしい。僕の突然の決意に一応驚いたらしいが、「どうせなら小学校に上がる今のほうが、環境を変えるのにちょうどいい」と、奥さんの方が乗り気になった。

 僕は少し仕事が落ち着いた時期に会社に言うつもりだったが、僕より先に奥さんの方が勤め先に「長野に移住します」と告げたりしてた。いや、気がはえーよ、まだ迷ってたらどうすんの? とか、僕の思惑ぶっちぎりで振り切って、奥さんの方が気持ちの切り替えが早かった。

 で、何故、長野なのか? 長野は「教育に力を入れてる」ことで有名な県ではあるが、支援級の体制においても同様なのだ。僕らが移住先として候補に挙げたのは、上田市と長野市である。その両方が、山奥にあるような小学校でない限り、ほとんどの小学校に支援級が2〜5クラスくらいあるのだ。

 上田はよく遊びに行っていて、好きな街であった。が、「住む」という意識でもって、毎週末現地の視察に行った。奥さんの重要視した条件は、「住む場所と小学校が近いこと」。娘が自分の足で、迷わず危険なく通えるのが最も重要な要件だった。

 その観点であちこち上田を見たのだが、なかなかいい土地がない。それで、長野市の方に行くと、非常にいい環境の場所が幾つかあった。

 それで、最初は僕は今の会社も辞めるつもりだった。が、ふと思いついてHPを見ると、長野にも支店があるのが判った。上田市から電車で30分ほどの小諸市に一つ、そして長野市にも支店があった。僕は「ダメでもともと」くらいの気持ちで、会社の方に移住する旨を告げて、「長野支店か小諸の支店に空きがないかどうか問い合わせてみてほしい」と言ったのである。

 それで、現地に合わせて減給されることにはなったが、長野支店への移動が決まった。……のは、いいのだが。「二月の中旬に来てくれないか」という要請があり、急きょ、二月の初頭には長野への移動が決まったのである。転勤という形なら三月いっぱい、退社する時は有給消化を入れるので二月いっぱいまで……とイメージしてした僕の想像は覆され、二月の頭には東京を出ることになったのである。

 さて、これからが大変である。


 
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