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2017年01月12日15:48

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旅行記@年の瀬の四国遠征《4》太山寺

12月29日、木曜日、旅の2日目。
この日の松山の天気は、残念ながら好くなかった。
早朝こそ日が照っていたものの、午前中のうちにパラパラと雨が降り出し、その後は降ったり止んだりを夕方まで繰り返すというような天候。。そして、寒かった。
四国なら少しは暖かいだろうと思って年末の旅先に選んだのだが、この日に限っては、TVの天気予報によると、東京の気温より松山の気温の方が低く、「全然ダメじゃん(;´∀`)」とひとりごちたりもしたものだ。。

JR松山駅前の宿に前泊していたわしは、朝8時前にホテルを出て、すぐ目の前の伊予鉄道・大手町駅へ。して、やって来た電車に乗り込み、市街地の北西、松山港方面の三津駅に向かった。
松山を訪れるのは今回が3度目だったので、町中の地理は何となく頭に入っていた。しかし、海側の方へ足を伸ばすのは今回が初めて。当然、目指す太山寺(たいさんじ)へも、初めての参詣となる。

三津駅に到着する。と、10分後に発車予定のバスは、既に駅前に停まっていた。
さっそく乗り込む。客は誰もいない。運転手さんすら乗ってなかった。。
まあ、運転手さんに関しては、車両のすぐ脇でタクシーの運ちゃんと何やら話し込んでいる姿が目についた。
乗客が居ないのは、発車にはまだ早いからだろうか? 思ったが、結局、発車時間になっても誰も乗り込んではこなかった。。
わしだけを乗せたバスは、走ること約10分、目的の太山寺門前に到着した。
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↑重要文化財・太山寺二王門。この門の階段下に、バスは横付けしてくれる。
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↑門を潜りぎわ、中を覗いてみると、部材をところどころ鎹で留めているのが目立つ、素朴な姿のお仁王様が、境内入口を守ってらした。

瀧雲山(りゅううんざん)護持院(ごじいん)太山寺。
真言宗智山派の寺院で、四国八十八箇所霊場の第五十二番札所でもある。
その境内は広く、二王門から本堂までは、急勾配の坂を5分ほど歩かねばならない。
坂の両脇では、まだ朝早いというのに、地元の人たち(?)が竹箒を持って落ち葉を掃き清めていた。
そんな様子を横目に見、時々は挨拶もしながら坂を上っていくと、やがて現れる石段の上に↓立派な楼門、四天王門が屹立する。
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目指す国宝・本堂↓は、この門を潜った正面に建つ。
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堂々たる佇まいの、見事な堂宇♪
堂内から発見された墨書により、嘉元3(1305)年の建立ということが明らかだそうで、木造建築としては県下最大。
古建築にはそれほど詳しくはないのだが、この建物はとにかく屋根がステキだと思った♪
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ところどころで色が微妙に違う丸瓦が、さらに朝日を浴びることによって、より一層複雑な表情を作っている( *´艸`)

参拝を済ませ、お堂の周りを巡りながら見事な建築に見惚れていると、やがて本堂の前に、地元の人たち(?)が10人ばかり集まって来た。さらに、荷台に土砂を積んだ軽トラックも登場。
何が始まるのかと思って見ていると、堂前の石畳脇の、土地が凹んでいるとこへ、トラックの荷台から土砂を撒き、それをスコップで馴らし始める。
もう2日後に迫った除夜の鐘撞き、そして翌日の初詣に向けての準備だろう。
あまり長居して邪魔になっても悪いと思い、退散することにした。

帰りがけ、参道の途中にある納経所で御朱印を頂き、ふと屋根を見上げてみれば、そこでは獅子が逆立ちして踊っていた♪
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帰りのバスには30分ほど時間があったので、門前町(といっても、民家が何軒か建ち並んでいるだけなのだが)を少し散歩してみたのだが、門前の民家の屋根にも、獅子や七福神や鯱、軒先には様々な形を象った役瓦が載っていた。
東京では瓦屋根自体をあまり見ることがないのだが、わしの地元では、役瓦の飾りは鯱か鬼面と相場が決まっており、これほどのバリエーションは見られない。この役瓦の種類の豊富さは、このあたり特有の風土・風習なんだろうか?
そんなことを思いながらバスを待ち、今度は往路と逆のルートを辿って松山市内に戻った。
そして、次に向うのは大宝寺である。

つづく。
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